木登りの話をする川嶋さんの声は、まるで少年のように弾んでいた。
「少し間違えて、かなりの高さから落ちても、幸いにして下に鋭利な石などがあることもなく、多少の痛さですむような墜落でした。それも含めて懐かしい思い出です」
続いて記者の趣味を問われたので、学生時代に応援団に所属していたことを伝えると、
「それはいいご趣味ですね。応援は人を励ますだけでなく、喜ばせるマジックです。麗しいお声でみなさまを励ましていらっしゃったんでしょう」
記者に対して“エール”を
応援団のエピソードを披露すると、川嶋さんは質問を投げかけつつ、こう評した。
「いま思いついた言葉で、不適切な可能性は大いにありますが“応援の喜びの拡大再生産”をお担いになってこられたのですね。木登りよりは、はるかによいご趣味でいらっしゃると、憧れながら伺っております」
東京五輪シーズンだったこともあったのか、川嶋さん自身も応援に対する思いを語っていた。
「応援やスポーツのよさだと思っているのは、最後に相手のチームを讃えることです。例えば、AチームとBチームが戦っていたとしたら、Aチームが“フレフレ! Bチーム!”と、なさる……。あそこが、応援の中で最も感動するところですね」
そして、さっそく記者を“応援”してくれた。
「大切な締め切り間際のときかもしれませんが、お時間をいただき、申し訳ございません。またどうぞ、取材でなければご遠慮なく、ご連絡ください。
私の想像にすぎませんが、本当にマスコミュニケーションのお仕事は、どの分野でも大変なお仕事で、なかなかご自分の時間も持てないし、計画を立ててもひっくり返さないといけない……。
いろいろおありになるようだと存じますが、一歩一歩よい専門家におなりになられるように念じております。どうぞ、お身体に気をつけて」
どんな相手に対しても努力を讃え、応援する心まで持ち合わせていた川嶋さん。その言葉ひとつひとつから感じられたのは、異例の結婚に猛進する眞子さんのことも、陰ながら応援し続けていたのではないかということ。
川嶋さんはこれからも、天国から眞子さんへエールを送り続けることだろう─。