車イスで生活しているなかで、すれ違った子ども達に好奇の目で見られたり、不思議そうな反応をされ、つらいと感じたこともあった。日本は障がい者が特別な存在のようになっているから、子ども達の反応ももっともだと思うし、否定するのは違うと感じるという。

「ただ、この絵本1冊だけでは伝えきれない包括的なメッセージはあります。僕は、絵も脚本も素人で、世間的に評価されるものでもありません。でも、僕の絵本にかけてきた4年間の想いは、誰にも負けるつもりはないですし、この夢に向かって突っ走ってきた4年間は奇跡で僕の誇りです。

 何度も跳ね返され、一時はダメかもしれないと下を向きそうになったこともありました。でも諦めなかった。人はこけてもこけても、何度でも這い上がれるということを、今さまざまな障壁にぶち当たり闘っている方たちに、そして今の僕自身にも、身をもって証明したかったんです。この作品は僕の『魂』で、まさに僕自身だと思います

「僕自身」とまでいえる絵本の出版後の反響はとても大きなものだった。多くの人に読まれ、すぐに重版が決定。絵本のランキングでも上位を獲得する。

「友人知人、ファンの方、さらには教育関係者の反応が高いことに驚いています。学校の朝礼で校長先生が僕の絵本に触れてくださったり、小学校での読み聞かせや授業で扱ってくださったりしていると聞きました。さらに、尾木直樹先生もSNSで紹介してくださいました。もっとたくさんの方の感想を聞きたいです」

叶えたかったもうひとつの夢

 事故で入院し、意識が戻ってすぐに描いた夢は2つあった。ひとつは絵本の出版、もうひとつがパラリンピックに関わることだった。滝川さんは、なんと同時期にこの夢を叶えたのだ。

パラリンピックに関わりたいという夢も、僕を前に突き動かしてくれた生きる糧だったので、どうしても掴みたかったです。開会式の出演にあたり苦労したことは、ひとつもありません。オーディションもですし、肺活量を上げるトレーニングやボイストレーニング、どれをとっても、楽しくてしようがありませんでした。ひとつあげるなら、誰にも言ってはいけない“極秘事項”だったので、親しい方に言いたくてもそれを我慢するのが大変でした(笑)」

 俳優として舞台に立っていたときは、劇場中を支配するような声を生み出していたが、その肺活量は事故で激減した。一時期は呼吸器の装着で、声も失っていたほどだ。今でも常に身体の痛みはあるはずだが、そんな姿は一切見せない。

 事故後にパラスポーツの魅力を伝える番組のMCとして活動してきた滝川さんが、パラリンピックを見た後に感じたことがあるという。