試行錯誤してたどり着いた究極の細筆

 現在、松井のマネージャーを務めるロベール・ショージニキさんも、彼の絵に魅せられた1人だ。「最初はマツイの仕事を手伝いたくてアトリエに出入りしていましたが、ピカソのように初期からすごい芸術家だとわかり、生涯にわたって彼の仕事を支えたいと思いました」

 ロベールさんは、当初はテロ対策の警察官として松井のアトリエに出入りし、アパルトマン周辺の警護にあたっていた。3年後、「一緒に仕事をしたい」と伝えたロベールさんは、警察官から画家のマネージャーに転身した。

 出会いから5年、ピカソは泉下の人となる。大きな喪失感を覚えながらも、薫陶を受けた松井は、ピカソの意志を継ぐものとして油彩筆を握り続けた。だが、「焦りがあった」と吐露する。

「有名になろうと気張りすぎていた。印象派を生み出したパリのベルネイム=ジュンヌ画廊からは、『お前はすごい。でも60歳まで絵は買わないだろう』と言われた。うまい下手ではなく、感動させるための経験が僕には足りないと指摘したんだよね」

 天才たちに負けないためには、どうしたらいいだろう。そういえばフランス人たちは、食事の際に僕のソースをかけるしぐさを見て「珍しい手の使い方をする」と驚いていたっけ。漢字の“八”を描くような手の動かし方は、フランス人にはなじみがないようだ。そういえば、フランスでは細い筆を使って絵を描かないな。

 むしろ、とてつもなく細い筆を使って、自分の中にある感情を描いてみたらどうなるだろう─。

 たどり着いたのは、人形の顔を制作する際に使う日本画用の面相筆。くしくも、生まれ故郷・豊橋の名産品だった。

 日本から大量の面相筆を送ってもらうと、油絵に対応できるようロベールさんたちが改良を重ねた。

『ル・テスタメントー遺言ー』キャンバスに油彩215×470cm(1985年)
『ル・テスタメントー遺言ー』キャンバスに油彩215×470cm(1985年)
【写真】2年半の歳月をかけて作り上げた超大作『ル・テスタメントー遺言ー』

「これを描ききったら死んでもいい」─。『遺言』と名づけられた215×470cmのキャンバス。松井は、ほかの絵は一切描かず、その絵だけと向かい合った。「これ以上描くと気がおかしくなる」。完成した絵を見上げると、2年半の月日が流れていた。