「なんでも見せる」渡邉家の子育て
格さんがパン作りに集中できるよう、曰く「鬼の形相で」それを阻害するすべての要素と闘ってきた麻里子さん。と同時に、移転に伴う子どもたちの教育や環境の変化は長年の懸案事項だった。
「高学歴を目指してほしいわけではないのですが、『田舎にいたから教育機会が少なかった』というのを言い訳にしたくなかったんです」
特に子どものうちは自然の中でのびのび遊ばせたいと思っていたが、現代の保育園は安全を重視し、子どもを危険から遠ざける傾向にある。そんな中、見つけたのが「智頭町森のようちえん まるたんぼう」だ。園舎のないこの幼稚園では、野外で身体を動かし、自然に学び、自分の頭で考えることをモットーとしている。ぽっちゃり体形だったヒカルくんも、森で遊ぶようになってから徐々に身体が引き締まっていった。
「高い木に登れるなど身体能力が上がり、食べられる山菜などの知識も増えました。『森のようちえん』に行けて本当によかったと思います」
幼すぎたヒカルくんが、千葉や岡山でのことをあまり覚えていない一方で、東京生まれの長女・モコさんは物心がついてから3度の大きな移住を経験してきた。
「岡山時代は暗黒でした。2人が食の安全性を気にして、給食の時間に私だけ持参のお弁当の日もあったんです。それがつらくて、そのころはなんでこんな家に生まれたんだろうと思っていました。だけど智頭に越して以降、その気持ちは消えました。徐々に、親がやりたいことが理解できてきたんでしょうね」
その思いは行動にも表れた。モコさんが自ら編入を希望した青翔開智中学の試験には、面接とプレゼンがある。テーマは「あなたが考える鳥取県の課題とその解決方法」。そこで、両親がなぜ智頭にやってきたかや智頭の美しい環境を保全していくことの大切さを語り、将来は自分がやりたい分野でそれを表現していきたいと締めくくったのだ。無事に合格し、いまは中高一貫の同校の高等部に通っている。
「人間力を試す授業が多い学校なので、最近はこの家に生まれてよかったと思うことが多いです。何度も転校したおかげで都会と田舎のいいところもそうでないところも見ることができたし、お父さんの仕事に一緒に行けて、いろんな人と関われたので」
編入試験のプレゼンは、麻里子さんにとっても忘れられないものになった。
「転校ばかりで、モコに苦労させちゃったことがずっと気がかりだったんです。でも、足りないことがあればどう補えばよいかを自分で考えられる逞しい子に育ってくれました」
渡邉家では、食卓ではみんなで話をする。夫婦ゲンカも隠さない。
国内外で行われる格さんの講演にも子どもたちを連れていく。そうやって幼いころから社会に触れてきたからだろうか。モコさんもヒカルくんも、大人相手に物おじせず、自分の言葉でしっかり話す。ヒカルくんは、小6にして将来、自分の店を持ちたいと考えている。
「お父さんもお母さんもずっと一生懸命やってきたから、今の店があるのだと思います。だから僕も『タルマーリー』を継ぐのではなく、イチから積み上げてみたいんです」