1990年のイラクによるクェート侵攻をきっかけに、翌1991年にアメリカをはじめとした多国籍軍がイラクに攻撃をかけたことで勃発した湾岸戦争。この戦争を踏まえて、秋元康の作詞、後藤利次の作曲によって『情けねえ』は制作された。
【遠い国のふしあわせ 対岸の火事なのか?】【情けねえ 自由が泣いている 情けねえ しょっぱい血を流し】
メッセージ性の強い歌詞と、とんねるずの力強い歌声も相まって世間に広まると、同年のNHK紅白歌合戦で念願の初出場を果たすことに。
「とんねるずとして歌いたい」再始動へ
「まさか、おふたりがパンツ1枚で全身を紅白に塗りたくってステージに立つとは思いませんでしたが(苦笑)。実は、この楽曲は単なる反戦ソングではなく、湾岸戦争時に資金提供以外はほとんど何もできなかった、当時の日本政府を風刺したとする面もあります。
それでも“対岸の火事”にはドキッとさせられますし、今後のロシアや、岸田文雄内閣の動向いかんでは『情けねえ』が再び歌われるのではないでしょうか。『Triangle』共々に歌によるメッセージは心に届きやすいだけに、とんねるずにはまた歌ってほしいですね」(前出・芸能プロマネージャー)
『みなさん〜』終了後はコンビ活動がほぼストップしているとんねるず。その間に石橋は昨年10月に、そして3月9日に60歳の誕生日を迎えた木梨。その3日前、『Yahooニュース!RED Chair』のインタビュー記事に登場している。
とんねるずとして“もう1度ライブをやりたい”と構想を語る木梨。そして《俺たちは何を伝えていけばいいんだって考えて、『情けねえ』『一番偉い人へ』という曲ができた》との、2つのメッセージソングが制作された経緯に触れて、
《今、みんなに何を伝えられるか。売れても売れなくてもどうでもいい。もう一回、そういう新曲をただ俺が歌いたいだけ。とんねるずとして歌いたいだけ。下の年代に、同年代に、先輩に、全ての人にメッセージを伝えたい》
こんな時代だからこそ、とんねるずが『情けねえ』を歌う日も遠くはなさそうだ。