母に料理を細かく教わったことはない
人気料理家である母のもとに生まれ、自身も料理家になった心平さん。料理の英才教育を受けて育ったのだろうか。
「料理に関してはひとつひとつを習ったことはないんです。ただ、日々のお手伝いはよくやっていました。お米をといでおいて、大根おろして、薬味を切っておいてなど、母から言われたことをこなしていたので、料理を手伝っているという感覚もなく、ごく自然な流れで台所には立っていたんです」
はるみさんが不在のときは1人で料理に挑戦した。
「きっとこうやって作るのかなと子どもながらに考えて。実践あるのみでした(笑)」
完成形から調理過程を逆算して作るスタイルだっただけに失敗も多かった。初めて作ったエビフライは、生のエビにパン粉を直接つけ、そのまま揚げたそう。失敗した際に両親から助言を受け、徐々に改良していった。
「火を使うことにも抵抗はありませんでした。そのころわが家の台所は電熱コイル型のコンロだったんです。火が出ないぶん、両親も安心だったんでしょう。小学校高学年のころには、揚げ物でも何でも作るようになっていました」
母の作った料理を批判したことも
母親のはるみさんは、家族に料理の感想をよく求めた。基本的にどの料理もおいしかったが、時には辛辣な意見を言ったこともある。
「たしか小学校高学年ごろだったと思うんですが、蒸した豚肉に青じそのソースがかかった料理を出してくれたんです。なんだか味がぼやけていたので『何これ……全然おいしくない』と批判した記憶があります。そのときの味、いまでも覚えてます(笑)」
はるみさんは家族の意見をしっかりと受け止め、改良する手間を惜しまなかった。心平さんが酷評した料理も、のちに、はるみさんの代表作『ごちそうさまが、ききたくて。』の掲載レシピに仲間入りした。
「僕らが子どものころ、母の料理を好き勝手に批評していたように、僕の料理も息子からいろいろと言われる日がくるのかもしれません(苦笑)」
毎日食べている味が「家の味」になる
『栗原家のごはん』を出版した心平さんに、私たちにも「わが家の味」を残すためにできることはあるのか聞いた。
「あえて何かアクションを起こす必要はないと思います。毎日食卓に料理を出していれば、家族にはすでに伝わっているはずですから」
例えばみそ汁がいい例だと続ける。
「昆布やにぼしからだしをとろうと市販の顆粒だしを使おうと、その家で食べられているみそ汁が『その家のみそ汁』。母のみそ汁もだしやみそもさまざまで、いろんなみそ汁が出てきましたが、どれを食べても『母のみそ汁』なんですよね」
具の取り合わせだったり、火の入れ具合だったり、作る人の何かしらかの工夫がみそ汁には込められている。100人いれば100種類のみそ汁ができる。
「時々、『私ははるみさんの味で育ちました』と僕に声をかけてくださる人もいますが、レシピは母のものだったとしても、料理は作った人の味に自然になっているはずですし、それがやがて『家の味』になっていくんだと思います。そして、その味の記憶が子どもに引き継がれていく。それが続いていくことが『味を継ぐ』ということなんだと思います」
特別なものではなくてもどこか心がほっとする味、それが舌の記憶している「家の味」なのだろう。『栗原家のごはん』で紹介したレシピがどこかの家庭で定番料理となり、その家の味になる。暮らしを紡ぐ役に立てるなら、それ以上の喜びはないと心平さんは少し照れながら言った。