今ではとにかく“免疫力を上げる生活”
延期となった40周年記念ツアーは、'21年4月から行われたが、2月と5月にがんの手術を受けていた桑野は……。
「病気になったので、出られなくなってしまって。それでもリーダーはずっと“先にツアーを回ってるから、体力つけて戻ってこい”と応援してくれました。それで、7月7日の大阪フェスティバルホールの公演で復帰しようと、そこにロックオンして5月ごろから準備を進めました」
鈴木からのエールで、ステージ復帰に向けて奮起させられたが、その道のりは険しかった。
「退院したばかりのときには、トランペットの音が全然鳴らなくて。それでも、リーダーも佐藤(善雄)さんもスタッフも、みんなが支えてくれて、フル出演は叶いませんでしたが、1コーナーでなんとか復帰できました。サプライズ出演だったので、お客さんもすごく喜んでくれて」
ステージから見る景色は格別だった。
「デビューしてからずっと、俺の位置から客席を見ると、斜め右前にリーダーがいるという景色が当たり前でした。なので、復帰のステージでそれを見たときに“戻ってこれたんだ”という実感が湧きましたね。リーダーも“おまえのラッパとコーラスが左後ろから聴こえてきて、本当にいるんだなとうれしかった”と言ってくれました。療養中には“いつもおまえがあそこにいると思ってやっているから”と連絡をくれていましたから……」
そんな桑野にとって、人生のターニングポイントとなったのは?
「65歳にもなると、ターニングポイントだと思える出来事はたくさんありました。でも、やっぱり大腸がんで入院したことがいちばんですね。入院して手術を受けて、もしかしたら無事に帰ってこられないかもしれないくらいの状態だったので、今こうしていられることは、本当に奇跡だと思っています」
闘病を経験して、考え方に変化が生まれた。
「今までは欲もあったし、ガツガツ尖って生きてきたのですが、生死をさまようような経験をして、欲がなくなったんです。唯一、生きることへの欲はありますが、それはなんとか叶っているので、今はとにかく、お世話になった人たちに恩返しをしていきたいですね」
そのために、今はがんの寛解を目指している。
「手術で悪いところをとっても、がん細胞がリンパと一緒に身体をまわっているので、いつ再発するかわかりません。それを防ぐための抗がん剤での治療もあるのですが、あまりにもつらくて途中でやめてしまって。なので、リスクはありますが、今はとにかく免疫力を上げる生活をしています。昔は酒を飲んで、暴飲暴食して、1日3時間睡眠で……というめちゃくちゃな生活をしていたので、生活習慣もすべて変えました。ゆるんでしまいそうになることもありますが、そういうときは、病院での生き地獄のようなつらさを思い出すようにしています。大腸がんは5年が寛解の目安なので、あと4年、なんとか頑張りたい」
同じ境遇の人にも、思いを寄せる。
「これを読んでいる人の中にも、闘病中の方がたくさんいると思います。それに、見た目は何もないように見えても、実は大変な人もたくさんいるでしょう。そういう人たちのことをぜひ思いやってほしいです。そして、今病気と闘っている人へ。それは逃げられない現実です。でも、頑張りすぎずに、そして諦めないでほしいです。仲間はたくさんいますから。『ガンバー桑野チャンネル』というYouTubeでは“がんサバイバーでも、気持ちがあればこれだけのことができる”ということを発信しているので、一緒に頑張りましょう!」
もちろん、寛解以外にも目標はたくさんあるようで。
「いま、息子と音楽をやっているので曲作りもしたいですし、残された人生の中でできることはなんでもやっていきたい。ジャンルを問わず、人を喜ばせることは最後まで続けたいんです」