ニューヨーク時代のひとコマ。2人がしているマフラーは環さんの手編みで、大阪なおみさんには当時好きだった『ハリー・ポッター』のような柄に〝NAOMI〟のネーム入り
ニューヨーク時代のひとコマ。2人がしているマフラーは環さんの手編みで、大阪なおみさんには当時好きだった『ハリー・ポッター』のような柄に〝NAOMI〟のネーム入り
【貴重写真】環さんの手編みマフラーを巻きながら雪だるまを作る幼少期の大坂なおみ

娘をテニス選手に! 向かった“新天地”

 姉・まり、妹・なおみ。2人の子宝に恵まれ、幸せと自由を手にした環さんだったが、その暮らしは爪に火をともすものだった。ひと間しかないアパートの一室で、肩を寄せ合う4人暮らし。

「自由には、自分たちの生活を守る責任が付きまといますよね。その責任がないと、生活を台無しにしてしまう可能性がある」

 台無しにしないためにはどうしたらいいか。あるとき、17歳11か月という若さで全米オープンを制したセリーナと姉・ビーナスというウィリアムズ姉妹の活躍を目にする。「これだ!」。マックスさんは、娘をプロのテニスプレーヤーに育てることを決意する。

 しかし、日本は一流のテニス選手に育てるための環境が乏しい。すると、彼は自身の家族がいるニューヨークへの移住を提案。悩んでいた環さんだったが、マックスさんの強行突破で渡米することになる。まりさんは間もなく5歳、なおみさんは3歳と5か月の春だった。

「人生という名の列車の同じ車両に乗り込んだひとつの共同体(ワンユニット)となって、目的地に向かって走り始めた感じです。でも、このときはその先に光が見えるのか、わからなかったですよね」

 ニューヨークの生活は、「睡眠時間は3時間くらいだった」と述懐するように、環さんが昼夜問わず働くことで支えた。マックスさんは、ニューヨークの公園で、独学ながら姉妹にテニスを教える。生計は環さん、指導はマックスさん、完全分業制だった。

「イベントに出かけたり、映画館へ行ったり……。本当はそうしたかったけど、時間もお金も余裕がなくて。リラックスできたのは、子どもたちと一緒にいるときや、家族の料理を作っている瞬間。テニスプレーヤーに育てるというモチベーションがあったから、その中から楽しみを見いだすことができたんだと思う」

 そのときを楽しむしかない。そう言って環さんは笑う。

 ニューヨークは、公園のテニスコートを無料で借りられるなど、テニスに打ち込むための環境が、日本とは比べものにならないほど整備されていた。しかし、冬場になると屋外での練習は厳しく、高額な室内コートを借りなければならない。出費がかさみ、家計を圧迫する。マックスさんと環さんは、温暖な「フロリダに住むべきじゃないか」と考え始めた。

子どものための選択をするということが、そのまま家族のためになる……。すべてがワンユニットだった。テニス選手として独り立ちできるようなベストの選択をしようって」

 といっても、物事には順序がある。ニューヨークにある商事会社で働いていた環さんも、仕事の引き継ぎなどをしなければいけないため、そう考えていた。だが、“善は急げ”のマックスさんは、突然、フロリダ移住を決行。子どもだけを連れて、フロリダに車を飛ばしてしまった。

 夫の情熱に振り回される──。「数年に1回発生するストームやトルネードに巻き込まれる気持ちですよ」と呆れる環さんに、その対処法を聞くと、

「いろいろなものをひっかきまわして、どっかに行ってしまう。残ったものからすると、“なんで? どうして?”って思うんだけど、そればかり考えていても仕方がない。

 散らかったものを1つずつ片づけるじゃないけど、今できることをやるしかないんです。また嵐がくるかもしれないと思うとやってられないけど(笑)。今を生きるのに一生懸命になると、余裕を感じる暇がなくなるけど、不満を感じる暇も一緒になくなるんです

 環さんと話していると、古きよき“肝っ玉母さん”という言葉を思い出す。