中国・湖北省生まれ。中学・高校時代を過ごした広島で同級生を原爆症で亡くしたのが政界入りのきっかけ。中央大法学部を中退後、岐阜県中津川市で国鉄労働組合出身の楯兼次郎衆院議員(故人)の秘書に。“県労働界の育ての親”と評される楯氏のもとで20年、政治のイロハを学んだ。

 県内の政界関係者は「楯さんの後継者としては迫力不足で脇も甘かった」と語る。

「労働者の立場から経営側を糾弾する視点と、護憲の精神は貫いたと思うが、それだけ。誇れる実績はない。逆に、国会議員の国民年金未加入問題(2004年)が騒がれたときも名前が出たし、'07年には代表を務める政治団体が、北方領土問題などの関連本を販売する出版社に名前を貸す見返りに7年間で計約1億3000万円を受け取っていたと報じられ謝罪した。1冊数万円の高額本を強引に売る手法に苦情が出ていたから」(県内の政界関係者)

 2010年7月の参院選で議席を失って以降も政治活動を続け、'19年からこの事件で解任されるまで立憲民主党岐阜県総支部連合会の常任顧問を務めていた。

 同県連の関係者は「セコい人なんですよ」と吐き捨てる。

もうひとつのセコすぎ本性

国会議員を長く務めた割には選挙戦の苦労がわかっておらず、後輩候補の応援で“現場までの交通費ちょーだい”とせがんで周囲を呆れさせていた。高速道路通行料やガソリン代などの計算が得意らしくて(笑)。選挙活動費が潤沢でないとわかっているはずだし、自分の選挙のときは支援者らの“手弁当”の応援にさんざん助けられてきたくせに」(県連関係者)

 自宅はJR美乃坂本駅から徒歩約10分の高台にある。立派な門柱をくぐって坂を登ると武家屋敷のような佇まいの豪邸。05年の議員資産公開によると、床面積273平方メートルの自宅をローンで建て、借金が2761万円増えたと報告している。当時の預貯金は256万円にとどまっているが、不動産のほか2つのゴルフ会員権や大企業株なども所有しており、暮らし向きが苦しいとは言いがたい。

 知人男性はこう話す。

「現職を退いたとき町内会に寄付をしてくれたが、国会議員にしては少ない金額だった。でも一緒にゴルフをした仲間のプレーフィーをおごることはあったみたい」

 関係者などによると、都内に自身が社長を務める多角的事業の会社があり、月2回程度は往復していたという。

 地元のタクシー運転手は、

「キャリーケースを引いてひとりでよく出張していました。自宅まで初乗り600円のワンメーターなんですが、千円札でお釣りはチップでくれるいいお客さんでした」

 と意外な一面を明かす。