第22回 林家三平
二代目林家三平が、『笑点』(日本テレビ系)のレギュラーから自主的に離れることを発表したのは昨年12月のこと。本人はその理由を同番組で「自分のスキル、笑いのスキルを上げるため」「自分でもう一度修行し直さなければならない」と”実力不足“を認める発言をしていました。「このままではヤバい」と思っての決断だったのかもしれません。
日曜日になると「三平つまらない」というようなツイートが流れてくることがありましたが、どれだけ「つまらない」と言われても、座布団十枚が達成できなくても、自分からやめる必要はなかったと私は思うのです。抜群の知名度を誇る演芸バラエティー番組『笑点』に出演することは三平のキャリアにとってプラスでしょうし、番組の制作側も笑いというよりも、知名度のある三平に出てもらうことで、話題性を高めたいという狙いがあったのではないでしょうか。そういったお互いの事情は抜きにしても、三平は実は「今のテレビ向き」な人材だと思うのです。
「できない人」は本当にだめなのか?
大喜利が得意でないから、落語家としてダメだと決めつけることは早計だと思います。しかし、『笑点』で座布団が取れなかったことは事実ですので、三平はあの番組内では「できない人」だったと言われてしまう。多くの人が、「できない人」と思われることを避けたいと思っているでしょう。しかし、「できない人」は本当にだめなのでしょうか?
たとえば、映画や小説など、お金を出して楽しんでもらう作品の売り上げが悪かったら、作り手は「できない人」と見なされ、次の仕事に支障をきたすでしょうから、「できない人」にはならないほうがいい。テレビがメディアの王様で、多くの人が好んでテレビを見る時代であれば、テレビの中も「できない人」も淘汰されてしまう可能性はあります。
しかし、今はSNSの時代。SNSはあれこれ言いやすい“獲物”を常に探しており、知名度のある「できない人」は格好のターゲットになります。そうするとSNSの常として、「そんなことはない、あいつは面白い」と言う反論も出てくるはず。このように“賛否両論”が起これば、ネットニュースになったりして、番組の宣伝につながります。今の時代は「できない人」は悪いことばかりではないのです。
テレビというのは、歌やお芝居、トーク、ルックスなど、卓越した何かを持つ「できる人」が、その技を見せるものとずっと考えられてきました。しかし、今、テレビは「できない人」の方向に向けて大胆に舵を切っているように思うのです。