浦和と大宮。同じさいたま市にありながら互いをライバル視する関係として知られている。そんな両者の間で、市役所移転をめぐり20年以上もバトルが繰り広げられていたのをご存じだろうか。
ライバル都市バトルは各地で勃発
「今年の4月末に、さいたま市役所の本庁舎を移転させるための条例が市議会で可決されました。浦和区から大宮区(さいたま新都心)に移されることになったのです。積年の課題に決着がついて感極まったのか、条例可決後の記者会見で市長は涙ぐみながら話していましたね」
そう語るのはローカルライターの田島武人さん。移転決定まで長い時間がかかったのには、理由があるという。
「発端は1991年の合併にさかのぼります。浦和市、大宮市、与野市の3市が合併してさいたま市が新設されました。ところが合併後の市の名称を決めるときにも、大宮市を主張する側と、それに反対する浦和側との間で対立に。結局、浦和と大宮の間をとって、さいたま新都心への移転が決まり、さいたま市になった経緯があるんです。
市役所については合併協定書に“新都心周辺に置くのが望ましいとの意見を踏まえ検討する”という一文が盛り込まれたものの、論争が続いていました」(田島さん)
市役所をはじめ県庁などの主要官公庁、新聞やテレビ局といったメディアの支社が集中する浦和を“埼玉の中心地”と考える地元民は数多い。一方、大宮は氷川神社の門前町として栄えてきた歴史があり、現在もデパートやショッピングビルが立ち並ぶ商業の街。
「高所得の人が多いのも、東大合格の常連校があるのも浦和」(浦和区の男性=40代)
「大宮のほうが住みたい街ランキングで上位だし、東北新幹線も止まる!」(大宮区の女性=30代)
ディスり合うのは郷土愛が強い証し、と田島さん。
「浦和も大宮も、いったん他県に出ても地元に戻ってくる人が多い印象があります。
それよりも僕が気になるのは、同じように合併した身でありながら地名を消されてしまった与野。市役所移転をめぐっても“与野は黙ってろ!”状態で、不憫です」