県内でもライバル視
同じ県内にありながら犬猿の仲という都市も。なかでも、岡山と倉敷のバトルは年季が入っている。
「倉敷の美観地区や大原美術館は全国でも有名。文化の水準が高い」(倉敷市の女性=50代)
「人気のショッピングモールは倉敷に集中しているし、岡山の人も買いに来る」(倉敷市の女性=40代)
岡山市民も負けていない。
「産業の中心や県庁所在地があるのは岡山」(岡山市の女性=30代)
「新幹線はこだましか止まらないくせに……。岡山には、のぞみが止まる」(岡山市の男性=20代)
田島さんによれば、岡山と倉敷の因縁は、なんと江戸時代から!
「寛永19年(1642年)に倉敷が幕府直轄の領地である“天領”に定められました。以来、倉敷は物資輸送の要所として発展し、外様大名が治める岡山藩より格上とみられるように。そのプライドが今も保たれていて、出身地を聞かれると、岡山ではなく倉敷と答える地元民が結構います。
両者の合併話が持ち上がったこともありますが、倉敷側の反対が多く立ち消えになりました」(田島さん)
もうひとつ、同一県内でライバル関係にある都市が、青森と弘前。どちらも青森県の南部地方に位置する間柄で、もともと仲が悪いわけではなかったという。
田島さんが続ける。
「南部地方は津軽地方と対立していたので、むしろ青森VS八戸の構図だったんです。それが変わったのは県庁移転がきっかけ。
明治4年(1871年)の廃藩置県で弘前県が誕生、県庁も弘前に置かれたのですが、それからわずか2か月後には青森県と改称され、市庁舎も青森市に移されてしまいました」
津軽藩10万石の城下町で長い歴史を持つ弘前に対し、青森は県庁が置かれてから発展した新興都市。県庁移転に弘前のプライドは傷ついた。
「青森といえば“ねぶた祭り”が有名ですが、“ねぶた”は青森での呼び方で、弘前では“ねぷた”と言います。どちらも睡魔を追い払う“眠り流し”という行事が由来。眠りの訛が地域によって異なり、“ねぶた”と“ねぷた”に分かれたのではないかといわれています」(田島さん)