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ー 記者と自宅で語り合い
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ー 娘たちの交際に父親は

 石田ゆり子(52)と石田ひかり(50)。いま、最も輝いているアラフィフ女優姉妹に違いない。

「どんな育てられ方をしたのか」と気になる人もいるのではないか。2人の父親・J氏(79)は1980年代から90年代まで放送・芸能記者の間で絶大な人気を誇った。取材に答えてくれるからではない。人間性だ。

記者と自宅で語り合い

 当時、財閥系海運会社のエリートサラリーマンだった石田パパは、ゆり子とひかりの結婚問題などについて取材させてもらおうと記者たちが千葉県内の自宅近くで待っていると、「夜遅くまで大変だな」と、必ずねぎらってくれた。

 その場で取材に応じてくれるのみならず、「立ち話もなんだから」と、自宅に招き入れてくれることもあった。庭がきれいに手入れされた2階建ての一軒屋だ。家の中ではビールや日本酒を出してくれて、飲みながらの話となった。

 そうなると、J氏と記者の話は長くなるが、その内容はほとんどが取材に関係のないこと。仕事論や人生論を説いてくれ、現役のベテランサラリーマンの言葉だけに含蓄に富んでいた。

「仕事は大切だぞ」

「家庭を忘れるな」

 仕事の悩みを漏らす記者の話は親身になって聞いてくれて、励ましてくれた。記者たちの間で石田パパ人気が高まるのは当然だった。ちなみに石田パパは酒がめっぽう強かった。

 J氏については「厳しい人」と思われがちであるものの、実像は違うのではないか。まず姉妹の希望したとおりに、芸能界入りを許している。

 石田姉妹は1985年、同じ芸能プロダクションの社員からスカウトを受けた。芸能プロ社員は2人が姉妹だとは知らず、最初にゆり子をスカウトし、約1か月後にひかりに声を掛けた。ウソみたいな話だが、本当である。

 女優デビューはひかりのほうが2年早く、1986年のドラマ『妻たちの課外授業II』(日本テレビ)に出た。その後、連続テレビ小説『ひらり』(1992年度後期)のヒロインに抜擢され、売れっ子となる。

 一方、ゆり子のデビュー作は故・緒形拳さんが主演したNHKドラマ『海の群星』(1988年)。沖縄の女性役でヒロイン的立場だった。このドラマは芸術祭作品賞を受賞した。

 ゆり子は早くから実力を認められてたが、人気がブレイクしたのは不倫する妻を演じたTBSの主演ドラマ『不機嫌な果実』(1997年)。以後、主演、準主演級での仕事が続いている。