フランスデビューと女優活動
'88年にはパリに渡ってフレンチポップを学び、フランスデビューを果たす。歌手活動と並行して、女優としての活動も広がった。
「大林宣彦監督の『ふたり』や『あした』に呼んでいただきました。“ピンク・レディーを解散したら、女優をやればいいよ”って言っていただいたことがあって、本当に新尾道三部作のお話をいただいて。私は暗い役ばかりで悩んでいると相談したら“ケイちゃん、明るい役は誰でもできるんだよ”って。“陰って誰もが持つものではないから、陰のある役と言えば増田惠子って言われるようになればいいじゃないか”と言ってくださった。本当に救われましたね。人との出会いにはとても恵まれています」
ソロになってからはバレエや茶道を習い、歌と芝居に通じそうなものにはなんでも挑戦した。バレエは30年近く続けている。7月27日には、これまでのすべてのシングルやライブ音源も入った2枚組アルバム『そして、ここから…』をリリースした。
「最初はソロ40周年の記念になればと思っていたんですが、阿久悠先生の未発表曲2曲を含む5曲が新曲で、自分のルーツであった人々に見守られてきた軌跡を表現できたかなと思っています」
これからも、歌い続けようと思っている。
「年を重ねたから歌える楽曲があるし、歌詞の理解力も深まってきた。見た目はシワが増えたりとかありますけど、若いときとは違う深さとか温かさとか、そういうものがシワに刻まれていく気がしていて。だから私は、これからも凛として生きていきたい」
プライベートでは'02年に結婚。44歳のときだった。
「結婚しなくても人間ができ上がっているつもりでいたけれど、伸びしろはまだまだありましたね。結婚してすごく成長しました。歳を重ねてからの結婚のほうが、自分ができていますから、ここは譲れるとか、譲れないとか、人としての余裕が違うんじゃないでしょうか」
年を経て振り返ると、人生のターニングポイントは、やはり“あのとき”だった。
「18歳のとき『スター誕生』に合格してデビューしたことです。幼い頃からの歌手になる!という夢を叶えられたことは本当に幸せに思います。大変なこともあったけど、人間その気になったら出来ないことなど何ひとつないということを学びました。絶頂期と比べたら、その後の人生は何もつらくないです。ピンク・レディーは、人生の道しるべを作ってくれた4年7か月でした。あの経験があるから、今でもこうして笑顔で楽しく生きていけるのかなって思います」
全力で駆け抜けたから、今も輝き続けている。