反対派の声を意に介さなかった理由
「安倍さんは、本人に聞いても、ゴルフとか、映画やドラマ鑑賞は好きだったみたいですが、ものすごくお金をかけてまでした趣味はなかった。なお、若いころ、最初に好きになったアイドルはアグネス・チャンだそうです。
また、もともとお坊ちゃんですし、奥さんの昭恵さんも資産家の娘ですから、お金には困ったことがない。というより、お金に欲がない。生活も、庶民的とはいいませんが、父の晋太郎さんの自宅を小さなマンションに建て替えてそのひと部屋に住んでいた。
お酒もほとんど飲まないし、高級グルメにもそれほど興味はなく、気楽なお店で美味しいものを食べることを好んだ。ローマで連れていかれた場末の庶民的な店のピザを『あれは美味しかった』とずっと語っていたそうですよ。品がよくて朗らかな人でした」
とはいえ、『アベ政権をゆるさない』といった、個人名を掲げたうえでの反対派の声も多かったのが安倍政権だった。
SNSの炎上を理由に死を選ぶなどする人もいるように、その道を選んでもおかしくないくらいの状況もあった。それに対し、本人はどう思っていたのだろうか。
「何も思っていなかったわけではないでしょうが、特に悩んでいる様子はなかった。これも、『敵がいて当たり前』という、代々政治家の家に生まれたからでしょう。以前、橋下徹さんが安倍さんに『命が狙われて初めて政治家』と励まされたと言っていましたが、安倍さんのスタンスそのままだったわけです。
また、昭恵さんの動向もいろいろと問題視されましたが、まったく気にしていなかった。というより、妻をたしなめるという発想じたいがないのです。それは安倍さんのご両親の影響ですね。
岸信介元総理の娘であり、行動力も人脈も気概もある母の洋子さんを、父の晋太郎さんはあるがままに見守るという家庭だったからです」
そういう家庭に育ったからこそ、外交の手腕が身についたのでは、と八幡さんは推測する。
「私が通産省からパリに国費留学していた時期のことです。その頃、大臣夫人だった洋子さんの案内をしたら、晋太郎さんの秘書官をしていた当時28歳の安倍さんがお礼を言いに来てくれたのですが、自由闊達なお母さんのいい息子さんという印象だった(笑)。
しかし、その後総理になった安倍さんは、海外に行ったら当時の首相なり大統領なりの地盤に行ってパレードするようにされていました。そんな気配りなどは、洋子さんの薫陶の結果だと思います。『相手が何をいちばんしてほしがっているかを考え、それを思いっ切り実行してきた』と言っていました」
そんな、育ちがよいゆえの大胆さで、外交や世論対策で成果を挙げたのが、よくも悪くも人々の心に波風を立て、攻撃も招いたのだろう。