「ダメ社員」という烙印を押されて
リトさんは1986年に東京都江戸川区で生まれ、神奈川県横浜市で育った。カメラ会社に勤める父親と専業主婦の母親に、2歳下の弟との4人家族。
ことさら美術が得意なわけでもなかった。かといって、スポーツや勉強に打ち込むこともない。ごく普通に小中高と地元の学校に通い、大学は商学部に進み、新卒で就職。職場は、大学時代にアルバイトをしていた寿司の製造販売チェーンだった。
「特になりたい職業なんてなかったし、料理に興味があったわけでもなかった」
と、リトさんは振り返る。この会社で「普通の会社員」として生きていくつもりだった。だが入社してしばらくたち、持ち帰り専用の売り場から回転寿司を担当する部署へ異動になったころ、問題が生じる。ある程度、仕事に慣れてきたはずなのに、いつまでたっても周囲の同僚たちと仕事のリズムが合わないのだ。
「例えば、先輩に“マグロを切って”と言われて丁寧に切っていると、“そんなに丁寧にやらなくていいんだよ!もっと適当でいいから”と怒られる。そこで適当に切っていると、今度は“もっとちゃんと切って”と怒鳴られる。どうやら他人が思う“適当”と、僕の思う“適当”の加減が違うようなんですね」
同じように、「集中」という言葉も、周囲とリトさんでは意味が違うようだった。
「他人から指摘され反省はするものの、直せなくて、また怒られる。やる気は十分にあるのに“やる気を出せ”と叱られる。自分なりに頑張っているつもりなのにダメというなら、“やる気って、どうやって出すんだっけ?”と、ただただ混乱してましたね」
そんなことが毎日のように続く。上司も周囲の同僚たちも、もちろん本人も困り果てるばかり。数か月前に高校を出て入ってきた新人のほうが何倍も仕事ができる現実……。
学生時代までは、「取り立てて優秀とまではいかなくても、人間関係で問題があったわけでもなかった」。ところが社会人になって、他人とチームを組んで仕事をするようになった途端、「ダメ人間」のレッテルを貼られることになってしまったのだ。
「回転寿司ですから、コの字型のレーンの中に入って作業するわけで。つまり、いろいろな方向から注文がくる。それがまったくダメだったんです。1つのことに集中してしまう僕にとって、何かをやりながら、後ろのお客さんの声も聞いて、全体にアンテナを張るという仕事が致命的にできなかった」
悩んでいたのはリトさんだけではない。同居する家族も心配していた。母親の橋本幸恵さん(64)はこう話す。
「あの当時、朝は始発で出かけて、帰ってくるのは終電。精神的にまいっている様子は感じていました。いつも疲れているようでしたね。まだ若いし、仕事はほかにもあるんだから早く辞めてほしかった。だから、“もう辞めようと思う”と本人から聞いたときは正直、ホッとしましたね」
7年勤めた会社を退職。さらに転職した3社目を辞める少し前、リトさんは偶然、インターネットである言葉を知った。それは「発達障害」。書店に飛び込み関連本を5~6冊購入、むさぼるように読んだ。
「驚きました。まるで占い師に自分のことを言い当てられているような感じでしたね。発達障害のなかでも『ADHD』というタイプの特徴ひとつひとつが、あまりにも自分に当てはまる。要領の悪さや不器用さ、物忘れの多さといった、自分で直したくても直らないダメな部分は、先天的な障害によるものだったと知って、衝撃でした」
そして専門の病院で診断を受けると、やはり結果は「ADHD」だった。
リトさんが診断された「発達障害」とは何か。「ADHD」とは、どういう状態を指すのだろうか。医学博士で医学ジャーナリストの植田美津恵さんは、こう解説する。
「発達障害とは、脳の働き方が偏っていたり遅かったりする“発達の凸凹”によって、日常生活のなかで困難を抱えた状態を指します。生まれながらの特性ですから病気とはいえませんし、親の育て方が悪いわけでもありません」
発達障害はおおまかに3つのタイプに分類される。
「不注意によるミスが起こりやすい『ADHD』(注意欠如・多動症)のほか、こだわりが強い『ASD』(自閉スペクトラム症)、IQは低くないのに読んだり書いたりすることができない『LD』(学習障害)といったタイプがあります。どこからが障害でどこまでは障害でないのか、明確に線引きをすることは難しく、グラデーションでつながっているといわれています」
と、植田さん。リトさんのように、大人になってから診断を受ける人が多いのも特徴だ。
「子どものときは周囲の大人のフォローがあったり、同級生からサポートを受けられたりして、発達障害を見過ごされる、あるいは気にならないケースが少なくない。 ところが、大人になるにつれ人間関係は複雑になり、競争や交渉事など高度なコミュニケーションを強いられる場面が増えていきます。そのため社会生活に支障をきたし、大人になって受診するケースが増えるのでしょうね。周囲とぶつかったり理解を得られなかったりして、職場を転々とする人もいます」(植田さん)
リトさん自身、転職を繰り返すなかで同じ問題が立ちはだかった。ADHDに特徴的な傾向が壁になる限り、「みんなとやっていくのは無理だ」と思い至る。
「就職活動のために、ハローワークで自分の学歴や経験などの条件を入れると、求人は5000件くらいあるんです。でも、“障害者”という条件だと、途端に20件に減る。さらに通勤できる場所となると、たった3件になる。転職できたとしても、4社目もきっとこうなるな、というのが見えちゃって。会社勤めというものが自分には合っていないな、とわかったんです」
途方に暮れたリトさんだったが、新たな活路をSNSに見いだそうと思い立つ。