少年時代は『太陽にほえろ!』などの刑事ドラマに夢中になり、萩原健一さんや松田優作さんへの憧れがあった。加えて予備校で仲良くなった友人は無類の映画通。勉強は一切せず、共に毎日映画館に通ったと懐かしむ。
「本当にあの1年間が、俳優へのきっかけでしょうね。映画に関わりたい一心で(俳優の)オーディションを受けるんだけど、当然うまくいかない。結局、落ちた連中たちで集まって演劇を始めて。26歳のとき、森岡監督と出会った『劇団離風霊船』に入ったんですが、本当はもう、辞めて田舎に帰ろうと思っていました」
これがラストと出演した作品が岸田國士戯曲賞に輝く。そして小劇場ブームの到来。多くのプロデュース公演に呼ばれるようになっていったという。
「実家は金物屋なので、あのとき継いでいたら、今ごろはどうなっていたんでしょうね」
バイトは38歳まで、司会業も
高橋が広く世に知られるようになったのはドラマ『ショムニ』('98年)での人事部長役。
「36歳でした。でもバイトは38歳まで続けましたね。道路わきの誘導看板の取り付けです。芝居をやってる人間にとても理解がある会社で“稽古があるので2か月休ませてください”という融通も利かせてくださって。ありがたかったですね」
その後の活躍は周知のとおり。おちゃめな役柄から、悪役まで変幻自在。名バイプレーヤーとして、あちこちの作品に引っ張りだこだ。また、俳優業だけにとどまらず『トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜』('02〜'06年)や『直撃LIVEグッディ!』('15〜'20年)では司会にも挑戦してきた。
「挑戦……ではないんです。そもそも、僕は自分から“こういうのをやりたい”という野望はなくて、すべて事務所に任せています。振り返って思うのは、自分のことは意外に自分ではわかっていないということですかね」
例えば、写真を決めるとき。高橋自身は至って普通のものを選んでしまうが、第三者は“なるほど”というものを選ぶのだそう。
「僕は自分で選ぶことをせず、客観視してもらった道を歩いてきたから今があるんだと思っていて。だから今後目指す俳優像を聞かれても、ないんですよね(笑)。もちろん、向上心がないわけではないんですが」
高橋克実が作品に呼ばれ続け、愛され続ける理由……それは我が強くない、人間的な柔らかさと丸みにあるのかもしれない。
スタイリング/中川原寛(CaNN)ヘアメイク/国府田雅子(b.sun))