しかしながら、前出の高森さんは、「秋篠宮家にとって、デメリットしかなかった」とし、理由をこう続ける。
「国体と別日であれば、悠仁さまのご様子はより大きくメディアで扱われたと思います。また、待望の地方訪問に臨まれた両陛下とは対照的に、日程をずらすべきお立場だった秋篠宮家は国民に違和感を与える結果になりました」
父親の決定で自分が批判される不条理
そのしわ寄せを受けてしまったのは、ほかならぬ悠仁さまだ。
「悠仁さまご自身が日程を決められたとは思えませんし、いかなる経緯があろうと“ゴーサイン”を出されたのは、当主の秋篠宮皇嗣殿下でしょう」(宮内庁OB、以下同)
そのことは、側近のスタンスからもうかがえるという。
「今回のご参拝について、皇嗣職は“公的な活動ではなく私的な旅行”ということを強調していました。説明の背後には、皇族としての“公”の姿と、“私”という人間の一面を大切にされる殿下の存在を感じずにはいられなかった」
では、なぜ10月1日という日程となったのか。
「両陛下の国体と重なることを、殿下はそもそも気になさっていなかったのではないでしょうか。優先事項は、当事者である悠仁さまの学業と、訪問先の伊勢神宮のご都合。10月17日には『神嘗祭』という神宮でもっとも由緒ある祭典が行われるため、その時期を避けるように10月初旬を選ばれたとも考えられます」
一方、宮内庁内では“日程かぶり”によって、悠仁さまに火の粉が降りかかることを懸念する声もあったそう。
「ですが、現在の宮邸は、側近から秋篠宮さまに進言できる環境とはほど遠く、基本的にご意向を尊重する方針だといいます。高校生の悠仁さまは、そんなぎこちない雰囲気を察しておられるでしょう。
伊勢参りを経て、悠仁さまは皇室の身分や地位を強く意識しただけでなく、“周囲の決定に従った自分が批判される”という不条理にも対峙されました。思春期真っただ中、お父さまに倣うことがはたして正しいのか苦慮されていることは想像に難くありません」(宮内庁関係者)
悠仁さまの前途に広がるのは自立の道か、それとも。
高森明勅 國學院大學講師。神道学や日本古代史を専攻とし、『天皇「生前退位」の真実』『「女性天皇」の成立』(いずれも幻冬舎新書)など著書多数