自宅を訪問、孫の部屋のドアを叩き「出てきなさい!」

 保護を廃止する直前に行われた1月26日のケース診断会議では、孫の収入状況にのみ焦点が絞られ、ケースワーカーの誰からも、上記に記したような懸念や疑問は発せられていない。私はそのことにあ然とする。

 世帯分離を解除し、原告夫婦の生活保護を廃止することがどういうことか、こんな簡単なことが福祉事務所の職員たちの頭には上らなかったのかと驚くが、弁護団の一人に取材した私は言葉を失うほどに驚いた。

 原告夫婦の生活保護が廃止になってから8か月後の2017年10月、どうしても生活が立ち行かなくなった原告夫婦は、やむにやまれず再び生活保護の申請をした。

 申請後、福祉事務所の職員が原告宅を訪問している。その際、孫が怖がって部屋に閉じこもっていると、30分にも渡ってそのドアを叩き「出てきなさい!」などと怒鳴り、家にお金を入れることを迫ったというのだ。

 消費者金融の取り立てのようなことを、こともあろうに福祉事務所の職員がしていることに絶句した。

 究極の選択を迫られた上、控え目に言ってもトラウマ級の福祉事務所による暴力的な行為の果てに、孫は精神的に不安定になり、一年間の休学を余儀なくされている。

 貧しい環境下でどんなにあがいても、どんなに歯を食いしばって前向きに頑張っても、この国は許してくれないのだ、そう絶望したに違いない。

 実際は、孫が自分の生活を犠牲にしてまで祖父母を養わなければいけないという法律的な義務はない。このことは地裁の判決文でも裁判官が明確に指摘している。

 家族が受けた傷、失ったものはあまりにも大きすぎた。だから老いた原告は、大きな権力を相手に、ドン・キホーテのように闘いを挑んだのだと、私は判決を読んでいて感じた。

粉々になったものを修復するために

 弁護団の一人である尾藤廣喜弁護士は取材に対し、力を込めて繰り返した。

「世帯分離の目的を達していないのに、勝手に解除してはいけないんですよ。行政は一貫性がなくてはいけないんです。自由裁量で(人の運命を)決めてはならない」

 子どもの貧困対策法は、「子どもの現在及び将来がその生まれ育った環境によって左右されることのない社会を実現する」ことを基本理念として掲げ、子どもの貧困対策を進めることを国や自治体の責務と定められている。同法の理念に従い、「長期的・俯瞰的な視点」に立った判断が求められている。

 幸い、孫は一年の休学ののちに復学し、今も同じ病院で職員たちに支えられながら働き、そして、ついに念願の正看護師の資格を取得した。それまでの努力や希望をどれだけ粉々にされてボロボロになっても、再び立ち上がった若者に心からの敬意を表し、祝福したい。

 孫が看護師として自立し、自分の人生を歩いて行くこと、それは2年もの月日を大きな力を相手に闘った祖父母の切実な願いでもあるだろう。

 さて、一方で家族をボロボロにした張本人、熊本県にお願いがある。

 控訴はしないでいただきたい。これ以上、原告やお孫さんを苦しめるのを控えてほしい。

 福祉事務所ができることは、本ケースを真摯に検証し、反省し、当事者たちに詫びることだ。似たケースがあったときに十分に話し合って、表層ではなく、当事者たちにとってなにが最良を考え、伴走することだ。

 公助が自助・共助の必死の努力をぶち壊しにするようなことをしないでほしい。

 ケースワーカーのみなさんには、生活保護制度が困窮した人々の道を明るく照らすよう、法に則りながらも柔軟な運用をしてほしいと願う。相手は人間なのだから、どうか。


小林美穂子(こばやしみほこ)1968年生まれ、『一般社団法人つくろい東京ファンド』のボランティア・スタッフ。路上での生活から支援を受けてアパート暮らしになった人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネイター。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで働き、通訳職、上海での学生生活を経てから生活困窮者支援の活動を始めた。『コロナ禍の東京を駆ける』(岩波書店/共著)を出版。