美智子さまから直接おことばを…

 ご成婚25周年にあたって、美智子さまの弟・正田修さんへの単独インタビューにも成功した。

「若き日の美智子さまを“おちゃめで人が集まってくる姉貴だった”とし、“ご成婚当時、自分はまだ高校生で何もわかりませんでしたが、年月がたつにつれて、当時の両親は大変だっただろうなと思うようになりました”と、語ってくれたのが印象的でした」

 渡邉さんの仕事ぶりは、宮内庁からも一目置かれた。

東宮御所のキッチンで、ご家族に手料理を振る舞われた美智子さま(1961年6月)
東宮御所のキッチンで、ご家族に手料理を振る舞われた美智子さま(1961年6月)
【写真】学生時代の美智子さまが美しすぎる

「日本テレビの局長を通して、“側近にならないか”と宮内庁からスカウトされました。
取材先の京都で、私がメガホンを持ちながら“宮さまがお通りです!”と皇宮警察かのごとく交通整理する姿が目に留まったとか。“若い活力が欲しい”と言われましたが、大学で教壇に立つのが夢だったので、お断りしたんです」

 長い取材人生の中で、忘れられないひとときがある。

「'09年11月、『日本記者クラブ』創立40周年記念の会合で、4分間ほどお話しさせていただきました。私は、美智子さまのご親戚の1人と古くから知り合いだったため、その話題で盛り上がりましたね」

 渡邉さんは、すでに日本テレビを退職し、文化学園大学で美智子さまに関する講義を行っていた。

美智子さまから“私のことを教えてくださっているのでしょう?”とお声がけいただき、大変名誉なことでした」

 共に年齢を重ねていく中で感銘を受けたのが、美智子さまの“終活”だった。

「'12年に上皇さまが心臓のバイパス手術を受けられた後、美智子さまは“やがてくるお代替わりについて相談しなければ”とお考えになったそうです。上皇さまが退院されて間もなく、天皇陛下と秋篠宮さまを御所に招き、月1回の懇談をされるように。この話し合いをすすめられたのが美智子さまだったといいます」

 渡邉さんは、'21年4月に『美智子さま いのちの旅―未来へ―』(講談社ビーシー)を出版。生前退位の経緯や上皇ご夫妻の葬送などについてまとめ、《私自身の仕事の集大成》と位置づけた。

「生前に“人生の終い方”について話をするのは失礼なことではなく、次の世代や周囲を困らせないためのあたたかい行動なんです。美智子さまの姿勢は、国民ひとりひとりに当てはまると思います」

昭和から平成、そして令和へ。天皇の生前退位は約200年ぶりだった('20年1月)
昭和から平成、そして令和へ。天皇の生前退位は約200年ぶりだった('20年1月)

 そう力強く語っていた渡邉さんは、皇室について精力的に発信を続け、『週刊女性』の取材にもいつも快く応じてくれた。

《好きなことをするためになら、死んでもいいじゃない、と思っているんです。私はこれまで仕事には本当に恵まれてきました。皇后美智子さまに仕事でずっとかかわらせていただき、同世代でこんなに素晴らしい方がいらっしゃるという幸せを感じてきました》(『いきいき』'11年8月号)

 その言葉のとおり、美智子さまに捧げた人生は幸せだったに違いない─。