死刑が確定し、宗教に目覚める死刑囚
「拘置所の中には“教誨室”があり、月に1回程度、宗教者である教誨師から教えを受けられます。仏教とキリスト教から選べ、落ち着いた雰囲気が漂っています」(同・前)
元死刑囚の親族Aさんはその変わりように驚いたという。
「私の兄は自己の欲望から人を殺害しました。非道でどうしようもない人間だったのに、執行される前にはすっかりキリスト教徒となり、聖書の一部を写しては私の元に送ってきていました。それが生きがいだったのでしょう。
当時は自分を表現できる作品展などはなかったし、考えを発信できるブログもなかった。多くの人にキリスト教を広めたい、と言っていました。被害者のご遺族にも送っていたようです。最後まで身勝手な人だと呆れて、そのことを咎めると、聞く耳を持ったんです。話し合いなどできず反対意見を言われるとすぐに恫喝してきた彼がここまで変わるとは思いませんでした」
彼が最期に見たものはなんだったのか。
「死刑が執行されたあとに自分に連絡がきました。死刑囚の親族はほとんどが遺体の引き取りを拒否するようなのですが、自分のところは母が引き取りました。結局彼と同じお墓に入りたくないと親族が反対して無縁仏になりました」(Aさん)
死刑囚に執行が言い渡されるのは当日の朝8時ごろ。
「'60年代ごろは前日あるいは2日前に執行が迫ったことを通告していました。死刑囚はそこから肉親に会ったり、遺書を書いたり、許される範囲で好きなものを食べることもできました。しかし、'75年に死刑を通告された死刑囚が自殺する事件が起き、現在の当日通告につながったんです」(元刑務官)
'04年の奈良女児殺害の小林薫元死刑囚は、'13年2月21日の朝の点呼のあとすぐに刑が執行され、8時4分に死亡が確認されている。点呼は7時45分ごろ。小林が執行を知ってから絶命するまでの時間はほとんどなかったことになる。
'68年の永山事件の永山則夫は'97年8月1日の朝に死刑が執行されたが、拘置所に収容されていた死刑囚の話によると絶叫しながら刑場まで引きずられたという。
前もって刑の執行を知らされるのと、その日の執行を待ち続ける、より精神的な重圧があるのはどちらなのか。
「彼らが最期に目にするのは前室にある仏像の姿です。見ないまま通り過ぎる者もいます。死ぬ間際に南無阿弥陀仏を唱える死刑囚や、ガタガタ怯えて失禁する死刑囚までさまざまです。ただ一つ言えることは彼らに殺された人たちはそんなことを考える間もなく殺された。これだけは忘れないでほしい」(同・前)