第七世代──と聞くと、多くの人が「お笑い芸人」をイメージするかもしれない。だが、「大食いフードファイター」も第七世代まで進み、世代交代が進んでいることを知っているだろうか?
「大食いフードファイター」も“第七世代”
そもそも、ここ日本における大食い番組の歴史をひもとくと、'89年にテレビ東京で放送された『日曜ビッグスペシャル』のいち企画までさかのぼる。その後、'92年に同局で始まった『TVチャンピオン』で定期的に開催されると、人気企画として独立。以後、『(元祖!)大食い王決定戦』として数々のスター選手を輩出することになる。
番組黎明期の名選手といえば、「女王赤阪」と呼ばれた赤阪尊子だろう。大量の砂糖を入れた水を飲みながらバクバクと食べ続ける姿は、絶対女王の名にふさわしく、とりわけ『6メートル超ロング細巻き勝負』で男性選手を圧倒した食べっぷりは“伝説”となっているほど。また、サングラス姿が異様なオーラを醸し出す、「皇帝岸」こと岸義行も、この時代を代表する名選手の1人。
ただ単に爆食をするだけではなく、二つ名がつくほどの強烈なインパクトとキャラクターを兼ね備える──。今に続く、黎明期の大食い番組を支えた、この時代の猛者たちを、のちに「第一世代」と呼ぶようになる。
名物選手が登場したことで、大食いの世界には続々と驚異の新人が現れる。
'01年には『フードバトルクラブ』(TBS系)もスタート。この番組で確固たる地位を築くのが、後にホットドッグをはじめ数々の食材で世界記録(当時)を打ち立てる「プリンス」小林尊。そして、「ジャイアント白田」の愛称で親しまれる白田信幸だ。
「第二世代の小林尊さん、白田さん、射手矢侑大さん(ドクター西川)。大食いをすればするほど、そのすごさを痛感します」
そう感嘆して話すのは、「MAX鈴木」の異名を持つ鈴木隆将さん。自身、『大食い王決定戦』で3度の優勝を誇る、現・大食い界のエースだが、「この方々の領域には届いていない」と謙遜する。
「大食いをエンターテインメントからスポーツの域に押し上げたのが、第二世代の方々です。僕も“フードファイター”と名乗っていますが、小林さんや白田さんがいなければ、そういった考え方は生まれなかったと思います」(MAXさん)
『フードバトルクラブ』は大食いに加え、「早食い」というジャンルを確立することで、“大食い選手”は“フードファイター”へと変貌していく。だが半面、悲劇も生んでしまう。
'02年、友達と早食い競争をした中学2年生が、のどにパンを詰まらせて亡くなってしまったのだ。この事故を受け、大食い番組は自粛。長らく大食いは、冬の時代を迎えることになる。