こうして客は阪急のファンとなり、やがて懐が豊かになると、阪急百貨店で買い物をするようになります。目先の利益よりも長期的なロイヤリティを優先する、小林一三の経営センスをあらわすエピソードとして、この逸話は有名になります。

 作家阪田寛夫の評伝『わが小林一三 清く正しく美しく』によると、この「ライス・オンリイ」は、ソースでご飯を食べるため「ソーライス」、あるいは福神漬でご飯を食べるため「福神漬ライス」の通称で呼ばれていたそうです。

“「福神漬の話を知ってますか」 ある日、私が逢った七十五歳の、かつての梅田裏界隈のサラリーマンが、大事なものをとり出して見せるように、なつかしんで話してくれた” 

“我々阪急食堂を利用した者は、皆知ってます。小林さんが山盛の福神漬を自分で持って来はった”

福神漬はすべてのライスのお供だった

 阪急百貨店のカレーライスに福神漬がついた理由は、単純明快なものでした。ステーキの付け合せのライス、貧しい客の「ライス・オンリー=ソーライス」、すべての洋食のライスに福神漬がついていたので、カレーライス「にも」ついたのです。

 福神漬はカレーの付け合わせではなく、洋食の「ライスのお供」だったのです。

 それではなぜ、阪急百貨店はすべての洋食のライスに福神漬をつけたのでしょうか? この理由も、単純明快なものです。

 阪急百貨店の先輩にあたる三越百貨店などのデパートの食堂、須田町食堂などの大衆食堂チェーンなど、東京の大手外食店の洋食のライスにはすべて、福神漬がつけられていたのです。

 阪急百貨店がすべての洋食のライスに福神漬をつけたのは、当時としては「あたりまえのこと」、業界の一般的慣行だったのです。

 東京では大正時代から、大手外食店の洋食のライスに福神漬がつくようになりました。なので、カレーライスにも福神漬がつくようになったのです。

 それはなぜなのでしょうか? そして戦後になって、なぜカレーライス以外の洋食のライスから福神漬が消えたのでしょうか?

なぜカレーに福神漬がついたのか(後編)に続きます。

※後編:福神漬VSたくあん「カレーのお供」巡る意外な歴史


近代食文化研究会(きんだいしょくぶんかけんきゅうかい)
Kindai Shokubunka Kenkyukai
食文化史研究家
2018年に『お好み焼きの戦前史』を出版。以降、一年に一冊のペースで『牛丼の戦前史』『焼鳥の戦前史』『串かつの戦前史』等を出版。膨大な収集資料を用いて近代の食文化史を解き明かしている。(Amazon著者ページTwitterアカウント