木村拓哉は「芸能界のカリスマ」
というのも、木村は前出の「キムタク=商品名、だからイヤ」という感覚が示すように、芸能人である前に普通の人間でありたいというタイプ。週刊女性でも'95年に、プライベートでの芸能人扱いには「思い切り気分が引く」と語っていた。
そんな人が、家に帰っても芸能人(それも、あの静香!)がいるような生き方を選んだのだ。それは芸能人である自分を全肯定したことのようにも思われた。
とはいえ、彼は演技でも「役作りという言葉を消滅させたい」と主張するほど、自然体がモットーだったりする。静香との結婚も本人的にはごく自然なことだったのだろう。
この時期に“キムタク”呼びを受け入れられたのも、またしかり。商品か人間かという葛藤に区切りがつき、普通の人間のまま、国民的スターであり続けることも不自然ではないと割り切れたのではないか。実際、2003年にはテレビ誌で、
《それくらいのモチベーションがなきゃ“キムタク”なんてやってられませんよ》
と、語ったりもしている。
SMAPの解散後、唯一ジャニーズ事務所に残っているのも、それが“キムタク”であり続けるための最善の道だと考えたからだろう。
芸能界のど真ん中にいないと、維持できないカリスマ性というものがやはり存在するのだ。
自分でつけた愛称なのに、うっかり忘れて嫌うというのも、若気の至りというより、本物のカリスマだからかもしれない。それでこそ、戦国のカリスマ・織田信長に扮してもサマになる、のである。
宝泉薫(ほうせん・かおる)●アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。著書に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)。