だが民放もキー局が2022年春から揃ってリアルタイム配信を夜に絞って始めた。視聴率に影響するほど利用されていないが、テレビ視聴率は今年これまでにないほど下がった。コロナ禍で動画配信をテレビで見るようになり、YouTubeやNetflixの視聴が高齢者にまで拡大したからだ。リアルタイム配信に足を踏み出せないでいたら、それとは違う方向から視聴率が下がってしまった。動画配信の利用はいずれ増えるのだから、放送局も早く取り組むべきだったのだが、迷信を信じていた人々は事態がいよいよ悪化しないとわからないのだ。
通信がいかに自由かを体感した放送業界
そんなこんなでネット進出を躊躇し、ネットを敵視してきた放送業界だが、今回のW杯では不思議とABEMAを敵扱いしていない。
「ABEMAのせいで放送の視聴率が落ちたじゃないか!」と、今までなら言いそうだ。だがむしろ、見習うべき存在と見ているようだ。テレビ全体の視聴率が下がり続け、ようやく自分たちの居場所が縮まっていることを実感しているのだと思う。動かなきゃダメなんじゃないか。そう感じていたところにABEMAのW杯中継で、通信がいかに自由かを体感している。放送にこだわっていたらいつの間にか自分で自分を狭い檻に閉じ込めていたことが、やっとわかってきたのだ。
実際、アメリカのテレビ局は放送による広告収入は伸びていないが、オンラインでの広告収入は伸びている。日本のテレビ局も早くやっておけば今頃違っただろうに。
ABEMAのW杯配信では、注目の試合ほど画質が下がった。トラフィックが集中すると映像品質に影響が出てしまう。そこが課題として残ったものの、ABEMAは存在感を高め信頼も得られたと思う。2016年の開設以来、事業単体では赤字を抱え、サイバーエージェントとしては好調のゲーム事業で支えてきた格好だ。だがW杯配信を機に広告メディアとして評価され、日常的に視聴する人が増えれば黒字化できるかもしれない。W杯配信によって、ABEMAは国民にとってのインフラとなり公共性を帯びたといえる。そしてそれは、ABEMAがメディアであるためには非常に重要な要素だ。
地上波テレビ局は逆に、放送番組をネットでも配信することが公共性を保つためには必要になってきている。国民として知るべき情報や見るべきコンテンツを、ネット中心に生活する人にも送り届けるのが新しい公共性だと私は思う。
進行中の総務省の有識者会議「公共放送ワーキンググループ」ではNHKのネット活用について民放連と新聞協会がまたもや「民業圧迫」を旗印に制限をかける意見を出している。いつまでそんな足の引っ張り合いをするのかと思う。国民の利益を考えれば、特に若い世代(=ネット世代)のために、NHKも民放も新聞も力を合わせてネットでのコンテンツ配信に取り組むべきに決まっている。「民業圧迫」を唱えることは、今や国民の利益に反することに気づいてほしい。
足を引っ張り合うのではなく、10年後20年後にメディアはどのような全体像になっているべきかを考えるときだ。その議論に参加しないメディアは、将来存在しなくなるだけだろう。2000年代に放送通信融合をないがしろにした過ちを認識し、大きな視野で議論してもらいたい。メディアの世界の新しい景色を、見たいものだ。
境 治(さかい おさむ)Osamu Sakai
メディアコンサルタント
1962年福岡市生まれ。東京大学文学部卒。I&S、フリーランス、ロボット、ビデオプロモーションなどを経て、2013年から再びフリーランス。エム・データ顧問研究員。有料マガジン「MediaBorder」発行人。著書に『拡張するテレビ』(宣伝会議)、『爆発的ヒットは“想い”から生まれる』(大和書房)など。Twitter:@sakaiosamu