助演として作品に尽くす“カメレオン”
インポッシブル・ドリーム──“見果てぬ夢”という言葉には、寺田の役者人生がにじみ出ている。前出の榎戸さんは言う。
「寺田さんなら社長役もできるし、ホームレスの役もできる。善も悪も演じ分けられる。ものすごい読書量で博識だから、演出だってできる人なんです。けれども自分から“真ん中”に立たず、監督のために、そして作品のために力を発揮してくれる。今はいなくなってしまった昭和のバイプレーヤーのいちばん正しい形だと僕は思います」
バイプレーヤーは脇役ではなく「助演」が本懐。時代が昭和から平成、令和に変わっても、寺田はさまざまなテレビドラマや映画で力を尽くしてきた。
テレビではNHKの大河ドラマや朝ドラ、映画では是枝裕和監督のデビュー作『幻の光』('95年/撮影・中堀正夫)等々。そして『風花』('01年)は相米監督の遺作。『ユメ十夜』第一話('07年)は脚本の久世さんと実相寺監督が亡くなった翌年の公開だった。
「仲がよかったヤツがみんないなくなって、オレだけ元気でも昔みたいな映画はつくれないよ。この10年、20年で、テレビも映画も小説も若年齢化しすぎて、面白くなくなった。白か、黒か、ハッキリ結果が出るものばかりで、警察や病院の内部とか、企業や業界の裏側とかを描いても、それは情報であって人間のドラマじゃない。
ドラマを演じるためにオレが芥川さんから教わったのは、“本を読め”と“恋をしろ”だった。恋をすればときめくでしょ?情熱も、嫉妬も、恨みも、つらみも、涙も、笑顔も、すべての感情は恋に凝縮される。ときめきがない人生は、生きていても仕方がないと思うね」
寺田は'06年に離婚。'11年、68歳で30代の女性と再婚した。真剣に恋をし、ときめくことを忘れてはいない。
'18年9月、樹木希林さんが75歳で亡くなった。
「希林はドラマをドラマとして演じられる最後の女優だったと思う。役者が芝居だけではやっていけない時代になっちゃって、もう希林みたいな女優は出てこないだろうね」
希林さんとは同い年。ドラマをドラマとして演じられる役者として、寺田が“真ん中”で力を見せる機会が'19年に訪れる。武田信玄の父・信虎の視線で武田家の存亡を描いた映画『信虎』('21年公開)で3度目の主役。
「話が来たとき、何でオレ?誰かに断られたのって聞いたら、そうじゃないと。“寺田さんにはスリリングなところがある”という大変なホメ言葉で。それならばと台本を読むと、『武田家の滅亡』というドキュメンタリーなら完璧だと思った。
だけど、映画は再現ドラマじゃない。ここはいらない、こうすると面白くなるって、ずいぶん口出しした。それでもまだ主役の信虎がしゃべりすぎだったけれども、最後は宮下さんの好きにおやんなさいって(笑)」
脚本を書いたのは共同監督も務めた茶人の宮下玄覇(はるまさ)さん。歴史・美術研究家でもあり、撮影では重要文化財クラスの茶道具や甲冑(かっちゅう)が使われ、実際に合戦があったお寺がロケ地になった。“本物”が持つ重みはスクリーンからも伝わってくる。『信虎』はマドリード国際映画祭など海外でも高く評価された。
「続編を……、という話があった。でも、“どなたかほかの方に”って答えた。飽きっぽいカメレオンだからね、楽しい夢を見て、ときめいていたいわけよ。生きているときは夢を見ているとき、死ぬときは夢が終わるときだと、いつもオレは思っているから」
ひとつの役に執着しない寺田の演技力は、いまも多彩で色褪(あ)せない。あのとき使わなかった52色のクレパスは、寺田の見果てぬ夢の中にあるのかもしれない──。
〈取材・文/伴田 薫〉