昔からのパフォーマンスで同年代に勇気を
ただ、初期の電撃ネットワークを知っている層は、彼らの芸をまた違った意味で楽しんでいる、とも。
「自分と同じくらいの年齢の人たちが、喜んでくれるんですよね。パフォーマンスに対してというよりも『まだ、やってる!』って。で、勇気をもらえたとかなんとかいうんです。なんか俺と同じくらいの男の人たちって元気がないんですよ。好きなこと、やりたいことをやればいいのに、と思います。
いい学校に入って、いい会社に入った人って、いい病院で死ぬことが幸せだとされていますよね。それって、自分の好きな場所だったのかというと、どうなのかな、と思います。そもそも、幸せの感じ方なんて人それぞれのはず。
他人の幸せが自分の幸せとは限りませんよ」
若い頃から周りに合わせることができなかった。
おそらく南部は、早い段階から自分なりの幸せを探していたのだろう。20代前半でサラリーマンを辞め、つてもないまま渡仏。偶然現地のボランティア団体と知りあい、衣食住の面倒を見てもらうことができた。永住したかったものの、職業がないため半年後に帰国。
演劇に興味があったので、当時無料で入ることができたロシア音楽舞踊団に所属する。だが、「2年くらいいたのですが、何人かの女優さんと付き合ったことがバレて、クビになってしまいました。でも、劇団員みんなで寝泊まりしているんだし、他に出会いもないわけですからねえ。仕方ないですよねえ」
その後、黒澤明監督の映画「影武者」(1980年)に出演するなど俳優としてのキャリアも重ねた後、本格的に芸人の道を歩み始めた。また、南部といえば、デビュー当時のダチョウ倶楽部のリーダーだったことでも知られている。
「自分はやりたいことしかやってこなかったし、それで辛い思いをしてきたこともあるけれど、この歳まで生きてこられたわけですからね。いろんな体験をしましたし、いろんな人の人生も見てきましたからね。そのおかげで、どんなことが起きてもそれほど動じない、という免疫力はついたと思います。
世の中にはいろんな人がいて、いろんな考え方がある。だから、こっちが正しいとか正しくないとか、これが幸せだとか幸せじゃないとか、決められないですからね。確かに、人を騙そうとする小ずるい人はいるんですけど(笑)。それも、免疫力や自分なりの価値観を持てば、最終的にはなんとかなるでしょうね。他人の価値観に振り回されるのは損です。
免疫力がないと、100万円くらいの借金で首を吊ってしまう人がいる。でも、何億円もの借金を抱えても死なない人もいる。そういうことだと思います」