妻から「腎臓返してよ!」
由紀さんの腎臓のおかげで、現在はかなり体調が安定しているという。
「普段から身体を温めるようにするのと、水を2リットルくらい、たくさん飲むようにしています。本当はお酒をやめるのが一番いいんですけどね。
妻は俺に腎臓を提供する際、タバコをすっぱりやめたんです。で、『あなたもお酒をやめなさい』といわれているんですけど、どうしてもやめられないんですよね。だから最近は『腎臓返してよ!』なんて言われてます(笑)。
年齢が離れているからなのか、お互いに理想を押し付けないのか、これまでいさかいは数えるほどしかなかったですね。病気もあるから、あと10年一緒にいられたらいいですけどね。でも、人にも人生にも、あんまり期待はしないほうがいいです。何か起きたら考えればいい」
電撃ネットワークも、その精神でここまで続けてきた。
「うちは、“リハーサルをしない”“反省会をしない”“何事も30%でいい”っていうのをモットーにやってきたんですね。うちの芸はリハーサルしたらおもしろくないし、各自でネタは考えてきてはいるんですけど、いつもぶっつけ本番。
この前も“毒のある生きたサソリを食べる”という芸のために持ってきたサソリが死んじゃっていて、急遽スコーピオンソース(最高級に辛いタバスコソース)を飲むことにしました。そんな自分たちが反省会なんてする意味ないですからね。
あと、何事も完璧なんて目指す必要はなくて、半分どころか30%できたら上出来だって考えるようにしています。
人間関係もそうですよ。ちょっと触れ合う程度だから30%くらいの関係性でいいし、相手のことを知るのも30%くらいでいいんです。世の中や人に、自分を完全に合わせようとしないことが大切なんじゃないかと思いますね」
東京・渋谷センター街の人混みにいても違和感のない見た目。それでありながら、決して埋もれることのない南部の風格の重みに、「ラスボス」や「主(ぬし)」という言葉が口をついた。
「ラスボス? いいえいいえ、中間管理職くらいですよ。中間管理職くらいでい続けたいです。そのくらいのほうが、自分が好きなものが好きでいられるんですよ」
南部虎弾(なんぶ・とらた)
1951年、山形県鶴岡市生まれ。保険会社営業を経て渡仏。帰国後ロシア音楽舞踊団、劇団事務所を経てお笑いの道へ。ダチョウ倶楽部の初代リーダー。1990年に電撃ネットワークを結成。1992年には「TOKYO SHOCK BOYS」の名前で海外進出。言葉が通じなくてもわかる過激パフォーマンスで人気を博す。
<取材・文/木原みぎわ>