そんな中でも発行を続けることができたのは、雑誌だからこその魅力を感じてくれる人たちがいたからだった。

「自分が好きなドラマのことが書いてあるものを、手元に紙として保存できるというのは魅力でした。作品のファンが、ある種グッズのように集めていた。最近は何かを保存するということ自体をしない人が多くなったし、そういう楽しみがなくなりつつあるのかなと」(ペリー荻野さん、以下同)

『ジョン』は、芸能人もその存在を意識する雑誌だった。

アイドル全盛期の波に乗って人気雑誌に

「表紙になることが、タレントにとって1つのステータスになっていました。レモンを持って表紙を飾ることが目標の1つというか。そのチャンスが、今まで年間50回くらいあったのが12回になっちゃうことは、タレント側としても寂しいのかなと。“ついにこの子たちも表紙になったんだ”みたいな、ファンも喜ぶことができる立ち位置を作ったのは功績ですよね」

 特にあの“アイドル帝国”とは、切っても切れない間柄で……。

「ジャニーズはWebメディアに写真の掲載を解禁してこなかった期間が長かったから、ファンにとっては“このアイドルの、このカットは『ザテレビジョン』でしか見れない”という写真が絶対にあったはず。アイドルファンにとっても寂しいだろうなと思います。自分の推しが大きく出てるかどうかも気になるじゃないですか」

 家族とのコミュニケーションが生まれる“きっかけ”だったとも。

「今は、親子で同じアイドルを応援する人たちもいますよね。でも、娘は自分のスマホなんか親に見られたくないけど、こういう雑誌があれば、話のタネになっていたと思うんです。“お母さん、買ってきて”って言えるでしょう。そうやって、親子で楽しめる媒体でもあったと思います。情報は個々で収集する時代になっているけれど、雑誌が1つあることで違う世代とも語り合える。そんな雑誌の刊行が減るのは残念ですよね」

 創刊された時代背景を振り返りながら、ペリーさんはその特徴をこう語る。

『月刊ザテレビジョン』関西版2023年3月号(Amazon商品ページより)
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【写真】中森明菜と近藤真彦の貴重なツーショット

「『ザテレビジョン』が創刊された'82年は、トレンディドラマの少し前で、ちょうどお笑いブームのころでした。みんながテレビを見て笑っていた時代で、すごく景気もよかった。フジテレビは“楽しくなければテレビじゃない”なんて標語を掲げて、その後トレンディドラマブームを起こしたりと、テレビがガンガン娯楽を先導していました。『ザテレビジョン』は、創刊されたタイミングから考えると、その勢いをすごくキャッチしていた雑誌だったんだろうなと。

 '70年代までは、テレビはなんとなく大人の文化的な側面があったけど、'82年には“花の82年組”と言われるように、早見優さんや中森明菜さん、小泉今日子さん、堀ちえみさんなど、アイドルがたくさん出てきたんです。『ザテレビジョン』はそんなアイドル全盛期に突入していく波に乗って、表紙も含めて、テレビの華やかさを象徴していた印象があります

 そんな『週刊ザテレビジョン』の休刊には、テレビ離れに加えて、雑誌全体に共通する逆風も関わっている。

「やっぱり、ネットの普及も大きい。もう紙がなくてもいいという人たちもたくさんいる。とはいえ、アイドルも永遠にいてくれるわけじゃないことを、私たちは知っているじゃないですか。“あのときの号を買っておいてよかった”という充実感が、いつかあると思っています」

 手元にあるその1冊が、いつか貴重な“秘蔵版”になる日も!