ジャニーズ次世代グループの評価
SMAPやTOKIOより下の世代のグループについて、山本はこう評価する。
「踊りにしても歌にしてもすごくレベルが高いし、素晴らしいと思います。みんなでそろって踊るシンクロダンスが、今の主流ですよね。特にSnow Manさんは、僕たちみたいな歌も踊りも未熟で、売りが若いということだけのまま世に出たグループと違って、見る人に納得されるようなレベルで人前に立つために準備に時間を費やしてからデビューしたのだと思います。世間に向けてパフォーマンスするときは、技術面でも精神面でもある程度大人になっている。
僕たちも同じ振りで踊ってはいたんですが、どこかで『目立とう』という気持ちをみんな持っていて。特に、真ん中にいてバンダナを巻いてた人は2回のターンでいいところを3~4回回って転んだりしていましたから(笑)。いい切磋琢磨(せっさたくま)だったと思いますが、現代ではそれは難しいでしょう。今の時代だったら光GENJIは、技術も低いし、メンバー間がそんな感じだから、すぐダメになったはずです(笑)」
当時の光GENJIのきらめきは空前絶後
山本は謙遜するが、当時の光GENJIのきらめきは空前絶後だった。「ジャニーズ史上、No.1の瞬間最大風速」の呼び声は、いまだに高い。当然、ジャニーズ首脳陣からの厚き薫陶を山本も受けている。
「光GENJIの解散後、海外ロケの仕事で、1人でパリ経由でサハラ砂漠に向かっているときのことでした。ド・ゴール空港を歩いていると、パリに旅行に来ていたメリー(喜多川)さんと森光子さんにばったりお会いしたんです。『淳一!』ってメリーさんに抱きしめられて、森さんには『はい、お小遣い』って、フラン札を何枚か握らせられました。僕はパリには滞在しないんですって伝えたのに(笑)。
同じく海外ロケで帰国する際、経由地のイギリスのヒースロー空港で、ロンドンにスタジオを持っていたASKAさんにばったりお会いしました。ASKAさんは僕たちの『STAR LIGHT』や『ガラスの十代』などの曲を作ってくれた恩人です。『今からうちのスタジオに来なよ!』と言われたけれど、『ごめんなさい、飛行機の時間があるのでさすがに無理です……』ってお答えして(笑)」
山本の親しみやすさも窺い知れるエピソードだ。