「バスの死角である真後ろに警察車両を停めて、その後ろにもう1台停め、その陰にSATの隊員が待機。ネゴシエーターが手袋を落とすのが合図だった」
20人以上の部隊は左右に分かれ、バスの両サイドから突入する。
報道陣がまさかのフライング…突入時の誤算
「突入の瞬間の映像を見ると、閃光手榴弾が光るよりも一瞬早く、カメラのフラッシュが光っている。報道陣には取材規制をかけていましたが、明らかにフライング。無事に解決したのでよかったのですが、本来はあってはならないことだった」
突入時の怪我人は割れたガラスで少し足を怪我した警察官だけ、完璧な急襲作戦だった。
こうしてバスジャック事件は決着をみた。以後、SATは広く国民の知るところとなって、現在に至っている。
「西鉄バスジャック事件の1年後に京都でもバスジャックがあったのですが、SATが出動してすぐに鎮圧。去年の東京で起きた焼肉店立てこもり事件にも出動しています。23年前のあの日にSATの威力を日本中に知らしめたことは、間違いなく犯罪の抑止力にはなっていると思います」
と中島氏は強く主張した。
1人が死亡、2名の負傷者を生んだ西鉄バスジャック事件。A少年は少年院送りとなったが、40歳を過ぎたいまでは社会復帰を遂げているという。