2009年11月、Y子は元夫からストーカー被害を受けていると虚偽の訴えをして『DV等支援措置』を申請していた。同制度は、DVや児童虐待の加害者から被害者の情報を保護してもらうよう自治体に求めることができるもの。
「1度も実施されない面会交流の履行勧告をしようにも、Y子の住所が必要でした。携帯番号も変えられて、連絡をとる方法がなくなるのです」
7年ぶりに会った娘は、冷たかった
その一方で、Y子は離婚後に大仙市内の県営住宅に転居。2011年3月には行政に愛実さんの養育が困難だと訴え、愛実さんの一時保護を求めた。これにより愛実さんは児童養護施設で生活することになる。
「そんな状況になっているとはつゆ知らず、Y子の父親に何度も頭を下げて、引っ越し先を教えてもらいました。2012年4月にはその住所を基に面会交流の履行勧告をするのですが、Y子は私を愛実から遠ざけるため、今度は警察に虚偽のストーカー被害を訴えたのです。私を苦しめるため、何が何でも愛実と会わせたくなかったんでしょう」
誰もがY子の主張を鵜呑みにし、阿部さんを阻み続ける。
「警察から“ストーカー行為はやめなさい。繰り返したら逮捕します”と電話がありました。それでも安否確認だけはしたくて県営住宅に何度も足を運んでいたんです。しかし、娘の姿を見ることはできず、諦めの気持ちが大きくなっていきました」
阿部さんから少しでも離れようと考えたのか2013年2月、Y子は秋田市内へと転居する。周囲が見えなくなるぐらい、阿部さんの頭の中は愛実さんのことでいっぱいだった。
「複数の探偵社に“娘を探してほしい”と依頼しましたが、全部断られます。手立てのない絶望的な状況にふさぎ込む日々が続きました。そんなとき、私の母親が“大人になったら愛実から会いに来るよ”と言ってくれたんです。もし愛実が会いに来たとき、こんな姿は見せられない。立派なお父さんでよかったと思ってもらえるように頑張ろうと、それを日々の糧にして前向きに生きることを決めました」
だが、希望は無残にも打ち砕かれる。新聞報道で事件を知り、警察署に駆け付けた。霊安室で7年ぶりに会った娘は、何も話さず、冷たかった。
「娘の遺体を目のあたりにしても、自分の娘だと思えなかった。成長していたからではありません。悲しいという感情が沸いてこず、現実を受け止めることができなかったんです。愛実の葬儀は、Y子の親族が執り行いました。参列したいと伝えると“やっと縁が切れるんだから遠慮してくれ”と言われ、最後の別れをすることは叶いませんでした」
阿部さんは、愛実さんが通っていた学校や児童養護施設から引き取った遺品すべてに、今も目を通せないでいる。