しかし、'15年秋に『Mr.Kingvs Mr.Prince』は分裂。
「『Mr.Prince』の3人は、しばらくグループ名が与えられず、仕事も激減しました。神宮寺さんは当時について、心が折れそうになったと振り返っています。岸さんは退所も考えたそうです」(アイドル誌編集者)
“自分の頭で考えて決める”教育を
'16年になり、グループ名を失っていた3人にも名前が与えられた。
「『Mr.KING』と『Prince』として、それぞれのグループで活動するようになりました。この期間もメンバー同士で“また6人でくっつきたい”“安心してパフォーマンスできるのは、この6人だ”と、よく話していたそうです」(同・アイドル誌編集者)
そこで、ついに動いたのは平野だった。
「神宮寺さんに“ジャニー喜多川社長へのデビュー直談判”の計画を打ち明けたのです。平野さんの思いを聞いて、神宮寺さんも決意を固めてから、6人での食事会が開かれました」(芸能プロ関係者)
平野の口から話すまで、食事会の“真の目的”は伏せられていたという。
「自分で説得したい思いがあったそうです。しかし、岸さんと永瀬さんは、はじめは直談判に反対しました。それでも、話し合いを重ねることで全員の考えが一致したそう。“直談判に失敗したら退所”という覚悟まで決めて、'17年9月にジャニーさんのもとへ“6人でのデビュー”を頼みに行きました」(同・芸能プロ関係者)
見事に思いが実り、'18年1月17日、キンプリとしてのデビューがメンバーに伝えられ、その2時間後に会見が行われた。
全員で意思を固めてデビューを果たした後も、キンプリはとにかく“話し合い”を大切にしてきた。
「ジャニーさんがデビュー曲をメンバーに選ばせるなど、“自分の頭で考えて決める”という教育を特に強くしてきたグループではないでしょうか。ただ、デビュー後1年ほどでジャニーさんが亡くなってしまいました。それ以降、“自分たちで方向性を決めている”という発言が増えたので、さらに自覚が強まったように思います」(霜田さん)
今回の退所も、メンバー間での話し合いが行われた。