出産後は周囲のちやほやも面白いほどになくなった
「ライブレストランにはシンガー志望の人がカセットを持ち込んでは、『ここで歌わせてください』と売り込みに来ることもたびたびありました。彼女たちの姿を見て、私にはまねできないと思った。歌は大好きだったし、プライドを持って歌っていたけれど、夢に向かって必死で頑張り、自分の手でつかみ取るということをしてこなかった。
気づけば歌う場が与えられ、背中を押されるようにステージに立ち、歌姫と、もてはやされていた。私も娘もそう。『スゴイよね』と言われるけれど、でも結局努力した人には負けるんです」
出産前、シンシアにもデビュー話が持ち上がったことがある。歌い始めてすぐのころ、「レコードを出そう」と芸能事務所にスカウトされた。
「事務所には『君は歌のことだけ考えてなさい。そのときが来たら声をかけるから、それまでしっかり頑張りなさい』と言われていました。
なので『メジャーデビューしよう』という話になってはいたけれど、私の生活は特に変わらず、店で歌い続ける日々でした。ただ私の知らないところでデビュー話は進んでいたようです。どのタイミングでどう露出したらいいか考えていたみたい。当時開局になったFMヨコハマの番組を押さえたりと、いろいろ準備をしていたと聞いています。
けれど22歳のときお腹が大きくなって、そんなことどうでもよくなってしまった。『子どもを産むからやっぱりデビューはやめます』と伝えたら、みんな愕然としていましたね。今となってはそれがどんなに大変なことかわかるし、本当に申し訳ないことをしたなと思っています。
でもあのころは若く生意気で、大人の事情など考えてもいなかった。もともと芸能界に興味もなく、有名になりたい、シンガーとして成功したい、という気持ちもなかった。デビュー話も、『みんながそう言うなら』というどこまでも受け身の感覚でした。断ったときも私の中では“やっぱりやーめた!”という程度の軽いノリだったんです」(次回に続く)
<取材・文/小野寺悦子>