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ー 取締役から深沢の名前が消えた

 

 6月7日、田中美佐子と深沢邦之が離婚したことを、それぞれのインスタグラムで発表した。

1995年に結婚したふたりは、もともと事務所の看板女優と付き人という関係で“収入格差100倍婚”と話題になりした。2002年の結婚生活8年目で、ひとり娘が誕生。名前は、田中さんが以前演じた役名から1字を取って命名したそうです」(スポーツ紙記者)

取締役から深沢の名前が消えた

 当時、美佐子は43歳。高齢出産を乗り越えただけに、夫婦は娘を溺愛していた。

結婚後の1999年には、神奈川県の葉山に引っ越しました。“故郷の島根と近い環境で暮らしたい”という美佐子さんの要望で、移住を決意したそうです。娘の通学のために、2006年には鎌倉に新築の高級マンションを購入。教育熱心で、幼稚園から湘南にある有名私立のエスカレーター式の学校に通わせていました」(芸能レポーター、以下同)

 週末には葉山でのんびり過ごす“二拠点生活”を送っていたという。

「その後、葉山の家とマンションを売却。2014年に、鎌倉に2階建ての中古一軒家を購入して、引越しをしています。自宅から最寄り駅まで徒歩で数分ですが、美佐子さんか深沢さんが必ず駅まで娘さんの送り迎えをしていたそうです。近所では、家族3人で仲よくテニスをしている姿も目撃されていました

 そんな教育熱心なおしどり夫婦に、いったい何があったのか。

売れっ子女優の美佐子さんは、結婚する前から個人事務所を設立していました。深沢さんも結婚後に、その会社の取締役になっており、夫婦の会社だったんです。主な目的は節税対策だったのでしょうが、実は2021年に深沢さんが取締役を外れて、代わりに高校を卒業したばかりの娘が取締役に就任しているんです。

 そのころから、鎌倉の自宅近所で深沢さんの姿が見られなくなっていました。自宅は個人事務所の名義で購入しているので、深沢さんだけが自宅の所有権を手放したことになります」

 このころから、夫婦の間には亀裂が入っていたのだろうか。深沢の知人からはこんな話も。

深沢さんの実家は東京の練馬にあり、婦人服の生地を卸売りする会社を家族で経営していました。ただ、その会社は2016年に閉鎖。高齢になった両親の面倒をみるために、深沢さんは毎週、鎌倉から練馬まで車で通っていたんです。

 60㎞以上あって、車で片道1時間半以上かかりますので、深沢さんは仕事をセーブして、自宅と実家を行き来していました。奥さんも一緒に通っていたという話は聞いていません

 離婚の経緯について、深沢の母親に聞いてみたが、

知りません

 と、繰り返すだけだった。

 美佐子はインスタグラムで《ここまでに至るまで、私たちにはとても長い年月がかかりました》と、明かし《大学生のパパと出会ってから33年以上。心から感謝しています。ありがとう》と綴っている。33年の年月をかけても“格差”は埋まることはなかったのか。