ピーク時はマネージャーが15人も交代
『イエローキャブ』といえば、雛形あきこや小池栄子やMEGUMIなど、数々の人気グラビアアイドルを輩出してきた有名事務所。同事務所の看板とも言える野田義治会長のことを知る人も多いだろう。
「野田会長から『うちは服を着せていく事務所だ』って言われたんです。『名前と顔を売るために、どんな雑誌でも表紙を飾ればそれがお前の名刺になる』、『どこぞの誰かもわからないやつに仕事なんか来ないからな』って。そして『お前は芸能界で何がやりたいんだ』と聞かれたのですが、女優って言っても小学校のころのお遊戯会で“木の役”くらいしか経験がないから『さんまさんとかタモリさんに会いたいですね〜』って言ったんです。そしたら『じゃあバラエティーだな!』って(笑)」
その後はバラエティータレントだけではなく、女優として舞台やドラマにも多数出演するなどマルチに活躍。ただ、当時はまだ弟が幼かったこともあり、グラビアの仕事に対して複雑な思いも抱えていた。
「自分が15歳、弟は10歳も下だったので、グラビアなどの“自分の体でお金を稼ぐ”という仕事が恥ずかしい、という気持ちがどうしてもありました。当時のグラビアは、今みたいに女の子からも支持を得ているというわけじゃなくて。『子どもができた時に誇れる仕事じゃない』って思っちゃったんです。グラビアデビューしたころは、地元のコンビニで自分が表紙になった雑誌を全部隠していました(笑)」
しかし、意外な形でグラビアの仕事に対する価値観が変わったそう。
「ちょっと時間があったので、弟とたまたま『クレヨンしんちゃん』を見ていたら、私の写真(絵)が突然出てきて! しんちゃんが私のグラビアのファンという設定だったんですね。そうしたら弟が興奮して『ねーね出た!』って喜んでくれたことがあって、それが嬉しかったんです。
今って動画配信サービスでも『クレヨンしんちゃん』が見られるので、息子やお友だちも私が出てきたことを嬉しそうに報告してくれるんです。息子に関しては、授業参観でほかのお母さんたちに『ねーねー、山田まりやって知ってる?』って言うんです。ママが芸能人ってことを言うのが嬉しいみたいで」
家族のためにハードスケジュールをこなしていた日々。さすがに体も悲鳴をあげて、倒れてしまった悲しい過去もあった。
「野田会長が仕事をダブルブッキングさせてしまったり、現場に行ったら撮影がない日だったり、スケジュールが混乱するほど忙しかったんです。ヘリで移動したこともありましたね。そのときはマネージャーのほうが保たなくて15人も交代しました。
そのあとに舞台の仕事をやらせて頂いたのですが、そこでついに体が『休んで』ってなったんでしょうね。倒れてしまいました。どうやら食べ過ぎで消化不良になっていたらしく、胃腸の数値がとても悪くなって……。それから健康のことや栄養のことを勉強して、食べるものにも気を遣うようになったんです」