●教員を辞め、最初に働き出したと語る店の名前がメディアによって異なる
●料理の道に飛び込んだ年齢が、27歳〜32歳までと幅がある
「飲食店関係者には、自分を“大きく”見せるために経歴を詐称、“盛る”人はいますが、ここまで話している内容にブレがある人は珍しいですね(苦笑)。“最初の店”ぐらいは固定しなければいけないと思いますが……。転職をくり返している人であれば、“転職したのは何歳のとき”と明確に覚えていない人もいるかもしれませんが、鳥羽シェフの場合は、教師から飲食へと人生をガラリと変える方向転換ですからね。それがここまでブレブレになるのは……」(前出・飲食雑誌編集者)
鳥羽シェフの言葉への“疑い”は飲食関係だけにとどまらない。
小学生の思い出エピソードも“盛った”?
《小学校5年生のときに静岡で大会があり、そのときに三浦知良選手がたまたま来ていて、一緒にお弁当を食べたんですね。当時クロアチアでプレーしていて、日本に帰ってきたばかりのカズさんはめちゃくちゃかっこよかった。》(2021年10月21日配信、『日本サッカー協会公式note』インタビューより)
「'78年生まれの鳥羽シェフが小学校5年生は'88年、もしくは'89年となります。そのときのカズさんはまだブラジルにいて帰国しておらず、読売クラブにも入っていない時代です。そしてカズさんがヴェルディ川崎から移籍し、クロアチアでプレーしたのは'99年のことです。このエピソード、鳥羽シェフが20歳くらいのときであれば辻褄が合うには合いますが、そのころにカズさんが一般の成人男性と弁当を一緒に食べるというのはありえないでしょう。カズさんは正月には地元の“初蹴り”に参加していますし、子どもと交流することはたびたびあります。'88年か'89年にカズさんがブラジルから一時帰国したときに……という話であれば可能性はありますが、クロアチアは結びつくわけはない」(サッカーライター)
日本サッカー協会もこの“間違い”に気づいていないのか……。
「鳥羽シェフは当時のエピソードとして、カズさんに“いつか一緒にプレーしたいです”と伝えると、“待ってるよ”という言葉をもらい、それが忘れられないと尊敬を語っています。サッカーファンとして本当にカズさんをリスペクトしているのであれば、絶対に嘘はつかないと思いたいですが……」(同・サッカーライター)
鳥羽シェフが“偽らない”のは、広末への思いだけか──。