JINさんは事件のあと、性格が変わったという。
「人を信じられなくなりましたね。あの事件がなければ、あの日の夜もお母さんと一緒に夕食を食べていたはずだったし、次の日も学校へ送り出してくれていたはずだった。でも、そんな日は二度と来ない。大好きだった母は目の前で死んでいって、殺した男たちは生きている。誰も信じないことがせめてもの防衛でした」
たらい回しにされた幼少期と、消えた6000万円
事件が発覚し、JINさんは碧南市の精神科に1か月ほど入院したが記者が殺到したため、1か月ほどで愛知県岡崎市に住む母の叔母夫婦に引きとられた。
「入院中の記憶はないんですが、ずっと目の焦点があってなくてぼうっとしていたそうです。母方の叔母夫婦のもとに行ってからは、悪い子だった。家のものは盗むし、6歳なのに家出はするし。『お小遣いがほしい』って言えないから、家にあった貯金箱からお金を盗んだり、真冬に知らない人の家に行って『虐待を受けてるから泊めて』って嘘ついたりしてましたね。とにかく、気を遣われていることが耐えられなかったし、寂しかった。『親が殺された子』としてではなく、『僕のことを見て欲しい』と思ってかまって欲しくて悪さをしていました」
JINさんが8歳のころ、叔母夫婦は面倒を見きれなくなり、愛知にある母方の祖母の家に引き取られた。
「おばあちゃんのことは大好きだったので、おばあちゃんの家ではあんまり悪いことはしなかった。優しいし、僕のことを見てくれている感じがして安心できた。でも、遺産目当てで引き取ったことを後から知らされました。僕と兄は両親の遺産を6000万円くらい相続していて、僕らを引き取ったらそのお金を管理することができる。もちろん、勝手に使うことは禁止されてるけど、簡単に自分のものにできるんです」
祖母は内縁の夫がやっていた工場のための資金を得ようとJINさん兄弟を引き取ったのだという。
「工場が赤字続きだったらしいんです。おばあちゃんが遺産目当てだったことは1年くらいで親戚にバレたので、おばあちゃんのもとにはいられなくなり、10歳のころに母方の伯母に引き取られました」
伯母は美容院経営、内縁の夫は建設業を営み、羽振りのいい2人は親戚の中でも信用があった。しかし、この2人がJINさんの心をさらに痛めつけた。
「ご飯は出してもらえないし、服も買ってもらえなければ、もちろんお小遣いももらえない。暴力は日常茶飯事で冬に半袖短パンに裸足の状態で外に出されたこともありました。とにかく僕達に興味がなかった。両親が殺されてから、僕らの写真は1枚もないんです」
JINさんは13歳ごろから盗みをするようになった。
「モノを盗んで換金していました。完全にグレてた。当時は『お金がないし食べるものもないんだからしょうがないじゃん』そう思っていました。ずっともがいて、生きている実感すらなかった」
そして14歳でJINさんは逮捕。
「美人局をしてたんです。同級生くらいの女の子と手を組んで男を引っ掛けて、ホテルの部屋に入った時点で乗り込んで、男にお金を払わせてた。それが警察に見つかって、1年間、児童自立支援施設という少年院の一歩手前みたいな施設に入りました。伯母たちは1度も面会には来なかったですね」
バスケの特待生として高校には進学したが、半年足らずで自主退学。その後2年間、少年院に入った。
「感覚がおかしかったですね。傷つけられても痛みを感じないように生きていたから、人の痛みも感じず傷つけることにためらいがなかった。お金がないから窃盗して、ムカついたから殴るという感じで。被害者遺族だった僕は、正真正銘の加害者になりました」