目次
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ー 24歳という若さで乳がんと告知される
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ー 若年性がん患者向けのフリーペーパーを創刊
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ー がんになって得たものは多い

 日本テレビ系の『スッキリ』『ミヤネ屋』でキャスターを務め、明るい笑顔が印象的な鈴木美穂さん。15年前に、24歳の若さで乳がんが発覚するも昨年には1児の母になった。乳がんサバイバーとしての妊娠、出産、そして子育てを本人の口から聞いた。

24歳という若さで乳がんと告知される

 大学卒業後、念願のテレビ局に就職した鈴木美穂さんが24歳という若さで乳がんと告知されたのは2008年。入社3年目、記者として本格的に活動し始めた矢先だった。

入浴後、右胸にしこりがあると気づいたんです。触診の段階では年齢的にもしこりの様子からも良性の可能性が高いと言われていました。ところが、画像検査の結果、医師から『悪いものが写っていました』と言われてしまったんです」(鈴木さん、以下同)

 病院の外で座り込み、泣きながら親と職場に連絡した。「私、もうすぐ死ぬんだ」と目の前が真っ暗になった。

 その後、知人から紹介された病院を片っ端から受診し、治療方針を聞いた。そのなかで、これまで漠然と抱いていた「いつかは子どもが欲しい」という気持ちを強く意識することに。

 最終的に主治医を選ぶ決め手になったのも、妊娠・出産に対する見解だった。出産より命が優先という医師が多いなか、今の主治医だけが妊娠の可能性を残すことを考えてくれたのだ。

「その先生は『乳がんの治療後に出産した人はたくさんいる。あきらめず、できるだけのことはやりましょう』と言ってくれて。そして、先生の患者さんが子どもと写っている写真をいっぱい貼ったパネルを見せてくれたんです。その場で号泣しました」

 現在は、がん患者が将来子どもを望む場合、卵子や精子の凍結保存が主な選択肢になるが、当時は妊娠する力を意味する「妊孕性」という言葉も一般的ではなかった時代。そのなかで主治医は生殖機能を守る作用があるとされるホルモン剤を使うなど、できうる限りの配慮をしてくれた。

 精密検査の結果、ステージⅢと診断され、右乳房を全摘出。その後の抗がん剤治療は副作用が強く、8か月間休職せざるを得なかった。

髪も抜けて、もう仕事も旅行も結婚も、何もできずに死んでいくんだと、ネガティブな考えばかり頭に浮かびました。好きだったディズニーランドに行っても楽しそうな人たちを見ていられず、帰ってしまったこともあります