二枚目、三枚目も演じ切る表現力の源とは
転機は『うる星やつら』('81年)。古川が演じた主役の諸星あたるのライバル、面堂終太郎が神谷の役。二枚目ながら、時に面倒を起こす個性豊かなキャラクターだ。
「怖かったけど、アフレコで思いっ切り弾けてみたんですよ。そしたら監督から“ダメ”って言われなかった。好きに演じることを許していただいたというか、ようやく自分が自由になれたと思いました」
『キン肉マン』('83年)では、あえてダミ声で三枚目キャラのキン肉スグルを演じた。ヌケた演技の手本になったのは、駆け出しのころに影響を受けた熊倉一雄さんの芝居。自らも楽しみながら演じることで、アドリブも自然に入れられるようになったと神谷は言う。そして『北斗の拳』('84年)。オーディションで神谷とともに主役のケンシロウ役を競った古川は言う。
「格闘シーンでの“アタタタタッ!”っていうケンシロウのかけ声、あれをオーディションで聞いた瞬間に僕は負けたと思いました。後で神谷さんに聞いたら、ブルース・リーの映画を見てかけ声を研究し、布団に潜って近所迷惑にならないように何度も練習した、と。自分がやりたい役を必死で勝ち取ろうとする神谷さんの姿勢と努力は、僕も見習わなきゃと思いましたよ」
神谷の誘いで声優になった佐藤は、『キン肉マン』でも『北斗の拳』でも共演している。変幻自在の神谷の表現力は、古典芸能への造詣とも無関係ではないと佐藤は述べる。
「1人のキャラクターがさまざまな個性を演じるのは落語に通じます。神谷は狂言の舞台に上がったこともありますからね。とにかく研究熱心なんですよ。声優は、キャラクターに色を塗る仕事だと神谷は言います。スグルのおもしろさも、ケンシロウのカッコよさも、神谷にしかできない色使いのなせる技ですよ」
人気、実力ともに神谷は声優界のトップランナーとなった。だからこそ担える役割もあった。'95年1月17日。阪神・淡路大震災が起きると、神谷は声優界の内外に被災地支援を広く呼びかけた。
「50人くらい集まりましたね。レコード会社や関西のラジオ局も全面協力してくれて、神戸でチャリティーコンサートをやりました」
神谷がリーダーを務めるチャリティーイベントは、その後も新潟県中越地震('04年)や東日本大震災('11年)、西日本豪雨('18年)など、大きな災害が起こるたびに各地で開催された。'95年から神谷の復興支援活動に参加している友人─、社会風刺コント集団『ザ・ニュースペーパー』の浜田太一は述べる。
「神谷さんと熊本の児童養護施設を回ったことがあったんですが、子どもたちが心を閉ざしていたんです。神谷さんの歌や僕のコントで、子どもたちは少しずつ心を開いてくれたんですけど、神谷さんは納得しなかった。“来年も来るよ”って約束して、2年目は子どもたちも明るく盛り上がってくれたことがありました。子どもに夢を与える仕事に対する責任感でしょうね」
神谷は、声優を目指す若者たちの育成にも積極的に関わっている。'96年から'21年にわたり日本工学院専門学校の講師を務め、現在でも主宰するインターネットラジオの番組に学生たちを参加させている。
「“Saeba Radio”では、僕も神谷さんから番組を1本持たせてもらって、学生たちと一緒におしゃべりしています」(浜田)