自分がヤングケアラーだったと最近気がついた、とYouTubeで語っていたのは、お笑いコンビ「平成ノブシコブシ」の徳井健太さん(42)だ。
怪物と毎日戦っているような壮絶な青春時代
統合失調症の母に代わり、中高の約6年間、家事や妹の面倒を見ていた。
「母親が『誰かが悪口を言っている』『隣の人が文句を言っている』と、急に言い始めて、自分の部屋から一歩も出てこなくなったんです。今、思えば、幻聴が聞こえていたのかもしれないですね」
母の様子がおかしくなったのは、父が出張などで家を空けるようになってからだという。結婚を機に生まれ育った北海道から千葉県へやってきた母にとって、「父だけが心のよりどころだったのだろう」と徳井さんは考察している。
どんどん心が弱っていく母に代わり、中学2年生にして6歳下の妹の世話をした。
「母親がたまにドアの隙間から1万円札と買い物リストをスッと出してくる。それを受け取って、『ここに書いてあるものを買ってくればいいのか』って買ってきて、自分で料理をしてたんです」
中学生といえば部活に勉強、遊びなど忙しい年頃。実際に徳井さんの生活は、慣れない家事に、部活の朝練、勉強と忙しさの一途をたどる。
「家事は大変だったし、妹はまだ小学1年生で世話というよりは子守りに近かったしね。『家に帰ると温かいみそ汁とご飯とおかずがあったら、楽なんだろうな……』って思うこともありました」
症状がひどいと、コンセントの穴にケチャップを詰めたり、父が浮気をしていると叫んだり、暴れまわったりと、手がつけられないことも……。
「毎日、怪物と戦っているような気持ちになって。とにかく『早く眠ってくれ』って思っていました」
その後も不安定な状態が続く母のため、両親の地元・北海道へ引っ越すこととなる。
「家から歩いて通える、偏差値の高い高校を目指して勉強していたんです。当時はそれが生きがいだったのに、引っ越しですべて無駄に。だから、北海道の高校に進学したときは、なげやりな気持ちになっちゃいました。不良じゃないけど、勉強しなくなったし、テストも書かないで出したり」
そんな暗黒の高校時代をこう振り返っている。
「友達とも遊んでなかったし、別に遊びたいと思ってなかったんです。朝夕、新聞配達していましたし。生活のためじゃなくて自分の小遣いのためだけど(笑)。このころは、青春がマジでなかったのよ」
徳井さんは、つらくはなかったのだろうか。
「個性なのか、この体験からきたのかはわからないけど、つらくはなかったです。家事をして、妹の面倒を見るのが『普通』で、大変とは思ってなかった。ただ、大人になっても人に頼るのが苦手で、勝手に抱え込んで爆発していました。僕はお笑いの世界に助けられ、今はずいぶん変わることができた気がします」
家族の面倒を見ている現状を当たり前だと思っている今の子どもたちも、問題に気づいていないのだ。
「本人が自覚できるように僕ら大人が『ヤングケアラー』のことを広めるべきです。首を突っ込まないと助けられない。突っ込んだら突っ込んだで怒られるかもしれないけれど、それで子どもが救えるんならそのほうがいいと思っています」
(取材・文/オフィス三銃士)