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ー 難病を患った母の介護をきっかけに作家へ

 イラストエッセイ本『負け美女』が話題になり、テレビ番組でもコメンテーターとして活躍する犬山紙子さん(41)。そんな彼女は難病を患った母の介護をしていた時代がある。犬山さんが考える「ヤングケアラー」に必要なものとは……。

「『シャイ・ドレーガー症候群』という、初めて聞く、母につけられた病名のインパクトは大きかったですね。何しろ聞いたこともない難病で、どれくらい大変なのか想像がつかなかったですから……」

 エッセイストの犬山紙子さんは当時20歳の大学3年生。宮城県の実家に住んでいたが、弟は海外留学中、姉は東京で働いていた。

難病を患った母の介護をきっかけに作家へ

 この難病は、パーキンソン病のような症状が特徴。初期症状は尿失禁や失神などで、最初はゆっくり歩けていたのが、徐々に車いす生活、最終的には寝たきりになってしまうが進行は極めて遅い。

「当時、日中は祖母が介護を手伝いに来てくれましたが、母は車いす生活で体重が80kgぐらいまで増えてしまい、祖母だけで介護するのは難しくなってしまったんです」

 当時、新卒の犬山さんは編集の仕事をしていたが、入社1年半で退社。とはいえ、後ろ向きの話ではなく「自宅で漫画や文章を書く仕事なら、介護と両立できるだろう」とも考えた結果だった。

 しかし、現実は厳しかった。毎日介護の生活で休みがない。作品を書いても仕事として収入に結びつかない。

「介護すると決めたのは自分だから『つらいとか言っちゃダメだ』と思っていて……。自分では稼げず、父に生活費を出してもらっていたことにも後ろめたさを感じていて、自分の職業を“ニート”と名乗っていました。今、思えば相談できる専門家が必要だったと思います」

 しかし、半年で1人介護の限界が訪れる。SOSを出すと、姉が東京からすぐに駆けつけ、月のうち10日は東京で気分転換ができるように。

「母の力になれるのはうれしいけれど、並行して逃げ出したい気持ちもありました」

 姉がケアマネジャーに掛け合うと、要介護度が上がり、ヘルパーに助けてもらえる時間が増えた。弟も学校を卒業後に実家に戻り、きょうだい3人で家事と介護を分担していたが、2年ほどして母は脳出血を発症する。

「その日から寝たきりで話すこともできなくなってしまいました。病院でストレスのせいか円形脱毛症になった母を見て、きょうだいで相談し、自宅介護すると決めました」

 しんどいと言えるきょうだいがいたのはよかったが、すべては言えなかった。

「2人も介護の苦しさを抱えています。人に甘えたい気持ちは当時の彼にすべてぶつけていました。それに、母のほうがつらいのに、苦しいと言っちゃダメと思ったのです」

 犬山さんは結婚後も妊娠前まで、毎月、宮城と東京を行き来して介護を続けた。近年は犬山さんの姉が介護を担っていたが、母は昨年春に永眠。

「ちょうど帰省していたので、私も看取ることができました。母は話すことはできなかったけれど、誰かの顔を見るとニコニコと笑って、生きているだけで私たちに幸せをくれる存在でした。母が大好きだったから私は介護できました。でも、自分の人生も大切にすることとの両立がとても難しい。介護は社会や誰かに頼ることが必要だと思います」

犬山紙子●コラムニスト、エッセイスト、タレント。2011年にイラストエッセイ本『負け美女』(マガジンハウス)でデビュー。「こどものいのちはこどものもの」プロジェクトも推進中!

(取材・文/オフィス三銃士)