目次
Page 1
ー 俳優・谷隼人の「人生の分岐点」
Page 2
ー 松岡きっこの「人生の分岐点」

 人生に「たら」「れば」はないけれど、振り返ると「あのときこうしていれば……」と思うことは誰しもあるはず。しかも「転生ストーリー」が流行し、メタバース(仮想空間)が身近となった昨今、想像が実現する可能性も……。そんなもう一つの道を歩んだ自分を、谷隼人さんと松岡きっこさんに語っていただきました!

俳優・谷隼人の「人生の分岐点」

「人生の分岐点はどこかと聞かれたら、俺は17のときだね。当時、俺は代々木のスナックでコック見習いをしていたんだよ」

 そう語るのは俳優の谷隼人さん(76)。知り合いの紹介で働くことになったが、料理経験がまったくなかった谷さんにとって、コック修業は過酷そのものだった。

「お店のお兄ちゃんが関西人のすごく厳しい人でね。俺はなんにもできないから、しょっちゅう怒られてたよ。馬鹿野郎、コーヒーを沸騰させるんじゃねぇ!とか言われてさ。夜の8時に入って、終わるのは明け方の5時か6時くらい。そのあと昼の仕込みをしてようやく帰るんだけど、最初のうちはこれが本当にキツかったね」

 しかし、働き出して1年が過ぎたころ、谷さんは「料理を身につけたら、何かが変わるかもしれない」と感じるようになる。スナックを出て喫茶店で働くようになり、ますます料理に夢中になった。

「そのころの俺といったら、学歴もなく打ち込めるものもなく、夢もなかった。そんな俺の作ったスパゲティをお客が『美味しい』と言って食べているのを見たらものすごく感動しちゃってさ。俺にもできることがあるんだって自信が持てたんだ。

 それからはお客をもっと喜ばせるにはどうしたらいいだろうって、考えるようになったね。ドリンクの種類を増やそうとか、お酒も作れるようになろうとか。自分が店を持ったときのことまで考えるようになってワクワクしたよ。昔も今も、人を喜ばせることが好きなんだ」

 その後、東映にスカウトされた谷さんは、料理の道ではなく俳優としてのキャリアをスタートすることになる。しかし今でもふと「あのとき料理の道を選んでいたら」と思うときがあるという。

「テレビや映画の仕事って、お客さんがどんな顔して喜んでいるか見えないんだよね。まして今はネットでああだこうだ言われる時代。でも料理は目の前でうまいと言ってくれる人がいるでしょ。それがいいよね。もしも東映に入らなかったら、料理の道に進んでただろうな。きっと今ごろボーノボーノ!なんて言うイタリアンシェフになってたかもね(笑)」