その後、岡村天溪に師事し、鳴鶴流を継いだ南先生は、漢字の“母国”中国での個展開催や浙江省王羲之墓所内での『王羲之顕彰碑』建立など、鳴鶴流の発展に尽力してきた。

1画1画に意味がある

“漢字の力と尊さを日々実感している”と語るが、最近ではスマートフォンやパソコンの普及で、書をしたためる機会はめっきり減ってしまっている。そんな現在の潮流について、南先生はどのように感じているのだろうか。

『文字に聞く』の単行本を出版したのは20年前です。今回文庫本で出版することが決まって、大幅に手直ししました。当時もその傾向がありましたが、さらに時代が進んで皆さん自分で字を書く機会が無くなってしまった。ですが、本質的に字を書くというのは、自分の証明になるんです

 確かに、指紋や顔認証が普及した今でも、重要な書類には直筆のサインが求められることが多い。

南鶴溪著『文字に聞く』(草思社文庫)※写真をクリックするとAmazonの購入ページにジャンプします

 

スマートフォンで、写真でもなんでも加工することができる時代ですが、字だけはごまかすことができない。筆跡はその人の第一の顔、と中国では昔から言われてきたように、年数がたってもほとんど変わりません。自分で書く字には、そのときの精神と肉体の状態がすべて宿りますので、1番自分自身に近い証明が筆跡じゃないでしょうか」

 筆跡には自分自身の全てが反映されるからこそ、“文字に聞く”という態度が必要となってくる。

漢字には3千年の歴史があり、その長い歴史の中で形が大きく変化し、今日の漢字があります。ただやみくもに文字を書くのではなく、歴史を遡って文字の本源を問うこと、文字自身に聞くことこそが、より深い理解を得るための第一歩となるのです

 6歳のころから半世紀以上、文字と向き合ってきた南先生。文字離れは避けられないと認めながらも、その筆に迷いはない。

漢字にはひとつひとつに歴史があって、1画1画に意味がある。ですが近頃は、単なる記号として記憶している人が多いように思われます。代々の師匠が研究を重ね、伝えてきた漢字の本質を、ひとりでも多くの人に学んでもらうために、誰かがやらねばならないという思いでこれからも書に向き合っていきたいですね」