さらにHey! Say! JUMPがデビューした2007年、田中はある“システム”に気づく。
「連れて行ったJr.の子が、夜にジャニーさんから性被害を受けると、次の番組収録などでいい立ち位置になったり、マイクを持って歌えるようになるんです。そこで初めて、性行為をされることで“出世”できるシステムがあるのだと気がつきました。もちろん、性被害を受けずとも、スターになる人はいますけど」
熱心なジャニーズファンの親のすすめで、入所する少年も少なくない。
親から「ジャニーさんにヤられてこい」
「親から“ジャニーさんにヤられてこい”と言われたと話す子もいました。ただ、みんなジャニーさんと何をしたとか、具体的なことは話しませんでした。“おまえ、いくらもらった?”くらいです」
田中も心の底からスターになることを目指していた。デビューした先輩たちのようになれるなら─。そう思い、ジャニー氏に“気に入られるため”その支配を受け入れ続けた。
しかし、突如“優遇”された道は閉ざされる。
「一緒に仕事をしていた3人のうちの1人が、ジャニーさんから性的な行為を迫られ、拒んだんです。すると、出演していた番組では、いつも最前列で踊っていたのが、次の収録から3人とも最後列で踊らされるようになりました。確実にジャニーさんが指示していると思い、バカバカしくなって2009年に事務所を辞めました」
その後、恋人もでき、青春を謳歌していた田中だが、どうしてもスターへの道を諦められなかった。2010年と2012年の2度にわたってジャニーズ事務所へ舞い戻る。
「17歳のときは、さすがにないだろうと思ったら、また自宅に呼ばれて……。もう拒否することすら諦めていました。当時は彼女もいたし、本当にイヤだったんです。売れるには、やっぱりジャニーさんとヤらなくちゃいけないんだと絶望して、2か月ほどで辞めました。19歳で2度目に戻ったときは、さすがに呼ばれなくなりました。ジャニーさんは小さい子が好きだったので」
ただ、田中はジャニー氏の性加害の影響により、自分自身を見失う。私生活はかなり前から荒れていた。
「自分のセクシュアリティーがもうグチャグチャで……。女の子が大好きでめちゃくちゃ遊んでいましたけど、男とも遊べる。自棄になって、カラダを売ってお金を稼ぐこともありました」