歌マネも大ネタをかける
そして歌マネも大ネタをかけるらしい。
「『ほぼ1世紀メドレー』といって、10年ごとの歴代の歌手が出てきて、それこそ笠置シヅ子さんに始まって、歌謡曲の時代があって、'80年代になるとシンガー・ソングライターが出てくるし、その後には椎名林檎さん、米津玄師さんも。
それからピアノで『猫ふんじゃった』をYMO風に弾いたり、ジブリ映画の久石譲さん風に弾いたりとか……。軸は以前と変わっていないんです。世間の事象が変わるから話題は変わりますけどね。武道館ではサプライズゲストも招いてます。まだ誰かは言えないんですけど」
テレビやラジオ出演のほか、毎年、秋から年末年始にかけて武道館を挟んで全国ツアーを開催している。
「7、8月はネタ作りで、10月はそのネタを覚える時期、そこからリハーサルを本番前まで行います」
音楽と笑いの融合、斜めから見た人間観察─。「清水ミチコ」という独特のエンターテイナーはいったいどうやって生まれてきたのだろうか。
ひいじいさんがキーパーソン
「昔から、あれ? この人何で笑ったんだろう?と、その理由を知りたいタチなんですね。うちの家族なんかも、訪ねてきたお客さんがさんざん人の悪口を言って帰った後に、“あそこをこう話せば笑えるのにね”なんてディスカッションするような家族でしたから(笑)。
ありますよね、“変な空気”が伝わると“笑い”になる感覚(笑)。本音をポロッと言う。悪口を短く面白くを意識してね。私の笑いは、両親や同級生が教えてくれたんですね」
そして家族のルーツをひもとくと、曽祖父がキーになるという。
「そのひいおじいさんは嘘つきで有名だったらしいんですね(笑)。自分の楽しみのために平気で嘘をつく人。人をからかうのが大好きだったそうなんです。それを聞いたとき、私に似てるなと思いました。ところが、うちの家族は誰も会ったことがないんですけどね。でも、私の弟がそのおじいさんのことを近所の高齢者に取材してきたんですよ(笑)」
清水には、弟・清水イチロウさん(51)がいて実家の喫茶店を継いでいる。イチロウさんにも聞いてみた。
「はい、取材しました(笑)。そのじいさんは近所で『嘘つきえいざ』と呼ばれてました。本名は栄三郎というんですがね。不謹慎で有名で、病気で死にそうな人がいると、“〇〇がとうとう死んだみたいだ”とか言いふらす。それでお坊さんが行っちゃったりして大変だったとか(笑)」
清水は、今年でデビューして37年になる。
「私が20代のころは、きついギャグが流行りました。毒舌キャラとかいってね。私もひどいデフォルメの仕方をしてましたけど、今はお客さんが繊細になってきていて、平和的なネタのほうがウケる。お客さんがしょげるので、あまりキツくはやらないようにしています。例えば、誰かの曲をひどいアレンジにしたりすると、お客さんがそのアーティストに対して気持ちがしょげたり、“清水さんが誰かに叱られるんじゃないか”と心配になって、しょげるみたい。でも、やわらかく言うことで逆に皮肉に聞こえることもあるみたいですね」
清水が演じる森山良子やユーミン、矢野顕子のモノマネもちょっと意地の悪いエッセンスは感じられる。しかしそこには、本人に対する憧れや愛情もあるのだ。
「森山さんのモノマネは、息子の森山直太朗さんが“森山良子以上に森山良子だ”と言ってくれたりしました。ユーミンさんには以前、“山田邦子のモノマネには愛があるけど、清水ミチコのモノマネには毒しか感じない”なんて言われちゃってたんだけど(笑)、今では受け入れてくれて、ご本人と一緒にステージに立ったりします。自分では毒を入れてる感覚は……まあ、ちょっとはありますけど(笑)。ただうまいね、似てるねで終わらないように、アレンジを入れちゃうんですね」
清水が目標にしているのが、芸能界の大先輩・タモリだという。
「私がまだ短大に通っていたころ、生のライブにいろいろ出かけるようになりました。そんなときに、深夜ラジオを聴いて憧れていたタモリさんのライブに行って衝撃を受けたんです」
当時のタモリといえば、『今夜は最高!』『笑っていいとも!』などで人気を集め始めたころである。
「ピアノやトランペットを演奏しながら、演芸の要素もあるというライブでした。有名な演奏家の弾き方講座という、ちゃんとした作品を壊してパロディーにしていく斬新なコーナーもありました。そんなのを見るのは初めてだったので、“音楽と笑いを両立させるなんてすごい!”自分もこういう人になりたいと思っちゃったんですね」