もともと余計なモノを持たない性分だったことも幸いした。しかし、介護が必要になったときどうしたいか、葬儀の仕方などの母の意思はわかっていなかったという。
生きる目標を持てなくなって母は「死にたい」と
「弟は母の回復を信じていて24時間つきっきりで一生懸命、世話をしていたけど素人ではうまくいかなくて。私もできる限り通って、出すぎて垂れてしまう母の唾液をストローで吸ってあげたり、口の中に手を入れて拭いてあげたり。
家族だけではもう限界。生きる目標を持てなくなって母は私に『死にたい』って言うこともあったので、これはプロに頼らなくてはと、介護認定を受けさせたんだけど」
介護士にケアをしてもらうと、家族全員の調子が戻った。
「母の体重がみるみる増えてきたんです。おしゃれだった母もちょっと小汚くなってたのが、介護のプロの手が入ったとたん、すごくきれいになったの。やっぱりケアマネさんに相談して正解でした」
要介護2から5へと上がった際は、回復を信じた弟の意向もあって、リハビリができる病院に母を入れたが、「意思疎通もできなかったし、もうそこまで頑張れる状態ではなかった」と話す。
「終のすみかとなったのは、サービス付き高齢者向け住宅。環境も整っていて、医療と介護のプロがいて素晴らしかったですね。私が死ぬときはココに入りたいと思うぐらい(笑)。もちろん本人の好みもあると思うから一度、見学に行って決めるべきですよ。
もっと早く母を入居させてあげれば、穏やかに過ごせたのかな……。まあ介護に正解はないと思うけどね」
短大生時代“面白い素人”としてテレビで頭角を現した邦子さん。実は中高短大一貫のお嬢様学校出身でテレビ出演するなどとんでもないという環境だった。
「父のすすめで建設会社に就職も決まっており、父親は猛反対。デビュー後1年ぐらいは口もききませんでした」