生活保護の申請書をください!
父親の体調は悪化の一途を辿っていたが、保険証を持っていなかった。そこで、めぐみさんは無料低額診療を受け付ける病院に父親を連れて行き、検査を受けさせている。検査の結果、心不全を起こしていること、過去に外科手術をした足が二次感染を起こしていること、栄養失調状態にあることを指摘される。
この時、事態を重く見た病院のソーシャルワーカーが父親を連れて福祉事務所を二度訪ねている。それでも申請には至っていない。鉄壁の水際作戦が医療関係者すら阻む。
父親も命の瀬戸際にあったが、母屋で暮らす叔母も失職して生活困窮していた。そこでめぐみさんは父親と叔母を連れ、保護課を訪ねる。
「生活保護の申請をします。申請書をください。先日、病院で父は栄養失調と言われました。もう限界を越えています」
必死の思いでそう伝えると、職員は一枚の紙を持ってきた。申請書だと思ったそれは、家計簿をつけるための用紙で、それを差し出して職員は言い放った。
「これに1か月間、家計簿をつけてください」
どう考えても父は1か月持たなかった。数日後に改めて電話をした。
「じゃあ、これまでに書いた家計簿を見せてください」と言われ、福祉課に見せに行くと、「生活保護を受けている人で最低金額の人は1日800円で生活している。その人を見習って」と言われた。また、「ご家族が面倒見てお父さんのことを助けてください」とも返される。この時点でも、まだ生活保護の申請はできていない。
当時、唯一の働き手である夫の収入は15万円だった。にもかかわらず、めぐみさん家族と暮らすアパートに、なんと福祉課職員は2名でやってきた。そして夫の通帳を開示させられ、コピーまで取られ、「ほんとだ、15万だ。でも、20万近くもらってる月もあるじゃん。そういう月は1000円でも2000円でもいいからお父さんを支援してあげられるよね。家族なんでしょ?」と迫った。家賃を聞かれ、車のローンの残額を問いただされた。なぜ、家族がこんな目に遭わないといけないのだろうか。
ここに至るまでにめぐみさんのお父さんは何度、申請権を侵害されただろうか。度重なる水際(追い返し)に、その命は風前の灯火だった。
余命半年、二次感染を起こした足からウジ
めぐみさんの苦悩を見かねた友人が、仲道宗弘司法書士のことを教えてくれたことが転機となる。8月初旬、仲道氏が同行し、父と叔母はなぜか同一世帯という扱いで生活保護を受給することになった。ようやくである。世帯は分かれているのでその扱いはおかしいが、仲道氏もめぐみさんもとにかく父親の命を優先した。
「手術しなければ余命半年」と診断されていた父親はすぐに心臓の手術を受けることになったが、それまで劣悪な衛生環境で過ごしていたために足からはウジが湧いていた。仲道氏の介入がなければ、父親は命を落としていただろう。
命の瀬戸際にあった父親、そんな父親の弱る姿を目の当たりにしながら奔走しためぐみさんの心境はいかばかりだったか。胸が痛む。
保護が決定したという報せを受けて、めぐみさんが桐生市を訪れると、職員Iが「今回、なんでお父さんは生活保護になったかわかる?」と質問してきた。「頑張ってきたけど心臓も足も悪くなって仕事ができなくなったからです」と答えるめぐみさんを遮るように、「そうじゃないよねぇ。お父さんの社会性のなさだよねぇ!」ロビーの来庁者が振り返るような大声で言われて、「生活保護を受ける人が悪いんだみたいな感じで責められるのが悔しくてたまらなかった」とめぐみさんは当時を振り返る。