陛下のお話で気持ちが和らぐ愛子さま
前出のつげさんは、お代替わりの2年前、愛子さまをフォローされる陛下のお気遣いに心動かされたそうだ。
「'17年5月、ご一家は車いすバスケットボールの大会を視察されました。試合終了後、選手たちと懇談されましたが、激しいぶつかり合いの試合だったため、愛子さまは圧倒され、萎縮したご様子でした。
そんな雰囲気を察したのでしょう。
陛下は〝愛子は車いすにブレーキがあると思っていたようなんです〟とお話しされました。実は競技用の車いすにはブレーキが付いていないんです。陛下のお話によって現場では、笑いが起こり、愛子さまも気持ちが和らいだご様子でした」
ユーモアで愛子さまを和ませるご姿勢は、即位後もお変わりない。
「'19年8月、那須でのご静養のため、那須塩原駅に到着されたご一家は、駅に集まった人々と交流されました。このときも愛子さまは大変緊張されたご様子で……。
その日は猛暑日でしたから、陛下はハンカチを取り出され、額の汗をぬぐいながらふと“ハンカチ王子”とつぶやかれたんです。これには雅子さまも愛子さまも思わず吹き出されていました。一瞬で、愛子さまや周囲の緊張を解きほぐす、陛下のお気遣いだったのでしょう」(つげさん)
そんな愛子さまも3月に学習院大学を卒業され、今春から日本赤十字社へ就職される。
「愛娘の新たな門出に、ご両親の感慨もひとしおでしょう。日赤と皇室の関係は古く、昭和22年に香淳皇后が名誉総裁に就任して以降、総裁職は美智子さま、雅子さまへと引き継がれています。愛子さまが就職先として日赤を選ばれた背景には、そうしたつながりも挙げられるでしょう」(皇室ジャーナリスト、以下同)
愛子さまはこれまでも、国民に寄り添ってこられた。
「成年皇族になった際に制作することが慣例のティアラも、愛子さまは物価高に伴う国民の窮状を慮って、制作を辞退されました。今回のご就職も、20代の貴重な時間を学業でなく、社会や人々のために使いたいとお考えになられたのかもしれません。そんな“国民ファースト”な愛子さまを支持する人は多く、日ごとに“愛子さまを天皇に”という声が大きくなっているように感じます」
そうした声に、陛下はかつて“意思”を示されたことがあったという。
「10年以上前、陛下に近い皇室関係者たちの間で“愛子さま即位の可能性に関する話”が持ち上がったんです。その議題を耳にされた陛下は、“ちょっと待ってください”と女性天皇の実現に逡巡されたことがあったそう。万世一系の男系が途絶える可能性を危惧されたのかもしれませんが、一方で、“娘には結婚後、皇室を離れ、一般的な生活を送ってほしい”と願われているのだと推察します」
今後は日赤の職員として、愛子さまが陛下を支える日がくるのも、遠くはないだろう。