常に極貧時代を思い出し、堅実に生きる

 目の前にいる金嶋さんは、80歳近い年齢だとまったく感じさせない。顔が若々しいことはもちろん、遠目から見てもわかるほど、肉体が引き締まっている。スーツの上からでも、その大胸筋はたくましく、一層スーツ姿を映えさせる。「きっと自分に厳しい人なんだろう」。肉体からも、そうした哲学が伝わってくる。

演歌歌手は、スーツが似合わなければいけませんから、上半身を鍛えるためにダンベルを持ち上げるなど、毎日、運動を続けています。自分が健康であれば、家族も従業員たちも守れます。自分のためだけだったら、ここまでできないかもしれない(笑)」

 自分を律する─。その考えが通底しているからだろう。金嶋グループは、バブルに浮かれることなく、崩壊後も無傷で乗り切る。

「現在、私たちは新宿に17棟ほどビルを持っていますが、バブル前は1つも持っていませんでした。カラオケ事業も成功を収めていましたが、すべて賃貸でした」

『カラオケ747』は、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。しかし、金嶋さんは最盛期でも40店舗ほどにとどめ、全国展開をしなかったという。事業家の顔になって、話を続ける。

「商売には流行り廃りがあります。いつ下火になるかわからない。新しい業態に変更するとき、全国に何百店舗もあると、その改装費用に莫大なコストが発生してしまう」

 質実剛健でいて、勤倹質素。この背景に、「幼少期の貧困」があることは想像に難くない。

「有頂天になると、自分が負けてしまう気がするんです。私は、儲け主義ではなくて、完璧主義。何のために商売をするかというと、私はお金を儲けるためではなく、目の前のお客さまを喜ばせたいからなんですね」

 満足させる商売ができれば、おのずとお金は生まれる。

「全国展開しなかったのも、広げすぎると自分の目が行き届かなくなるから。お客さまに迷惑がかかるような商売はしたくない」

 バブルに浮かれ、多くの人の目がくらむ中、金嶋さんは目の前のことに集中した。熱狂の時代、金嶋グループは甘い話に乗らず、愚直に事業と向き合った。結果、銀行から信用を失わず、新宿の一等地にそびえる暴落したビルを購入することにつながる。飲食事業、アミューズメント事業など、さらに事業は拡大した。

「カラオケボックスも次々とまねされましたが、目の前のことに注力すると周りが気にならなくなるので焦らなくなる。チャレンジ精神はあってしかるべきだけど、野望は持ちすぎないほうがいい。お金もある、野望もあるとなると、落とし穴にハマってしまう」

 そう語る顔は、大繁華街・新宿で事業を成功させた傑士─に違いないのだが、“76歳でデビューしたキャリア2年の新人演歌歌手”の顔も持ち合わせるというのが、不思議でならない。一体どうして歌手に。話を聞けば聞くほど、金嶋さんの人間的魅力の底は深くなる。